とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

029 こたつやみかん

今回は「落語となわとびのこと」。

あるマンガを読んでいたら、そのせりふになわとびのことが浮かんだ。

月刊アフタヌーンで連載されている『こたつやみかん』(秋山はる・作)。落語大好きな高校生のお話。(以下、引用部分は今月号の第15幕「張った張った!」からです)


今は高校生落語選手権の予選の話が続いている。主人公の日菜子は、顔見知りのプロ級の他校生の高座を聴いて、自分の出番を前に姿を消してしまう。落語のすごさ、楽しさが改めてわきあがってしまい、もし失敗したら、

――もし お客さんに受け入れてもらえなかったら

大切に大切にしてきたもの
失っちゃう気がして……

子どものころから落語が大好きで、やっと高校で仲間を見つけて、波風ありつつも大会までやってきた。落語好きにとって一世一代の見せ場で揺れた心。そんな日菜子にはっぱをかけてくれたのは、落語初心者の後輩だった。

覚えてます?
「ひとりだからこそなんだってできる」――って

先輩の言葉に感動して
私 落研に入ること 決めたんすよ

あれから毎日毎日
新しい自分を作っていくのが面白くて しようがないんっす

それを教えてくれた先輩が
いつまでもちっこい箱庭で遊んでてどうするんすか

ここで、思わず自分を重ねてしまった。
新技を覚えるのが楽しかったとき。
覚えた限りの技を詰め込んでフリースタイルを作ったとき。

ある段階まで来て、3重跳びも、レッグオーバー系の技も、回数が伸びない。リリースは安定しないのにこれ以上うまく回せず、交差ですぐ悪い癖が出る。楽しいのに、人に見せられるところまで自分を持っていけない。

一方で、動画を見ていると、まだまだ挑戦してみたい技やつなぎかたが発見できて、次に縄を持つときが楽しみで仕方ない。やっぱり、跳び続けずにはいられないのだ。

同じ噺を 今までいったい
どれだけの人間が演じたんだろう

どれだけの人間が聴いたんだろう

こんなことを思いながら、日菜子は高座に上がった。


落語も演技。なわとびと違って、創作落語でもない限り、噺は決まっている。同じ噺であっても、今まで観客をわかせてきて、これからも「笑い声を響き渡らせる」のだ。きっとなわとびも、1つ1つの技は同じものでも、構成で、あるいは技単体であっても、見た人に何かを与えられる。

そして演技者もまた、楽しかった気持ちを、思う存分こめて、伝えられるだろう。

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なわとびの絵じゃない? でも、きっと同じ姿ですよ。


お客さんの拍手。仲間のうれしそうな顔。そして演じきった日菜子の笑顔。
なわとび好きにとっても、大切な1話でした。

今 この瞬間は――

私の噺のぶんだけ
時計の針が進んで
やってきた未来なんだ