今回は「切れた縄のこと」。
愛用してきた縄に最後の亀裂が入ったのは、まだ寒さの残る1月くらい前のことだった。
009や010で記事にした縄で、初めて買ったインドロープだった。長さ調節に失敗して、思った以上に短くなってしまった縄。短くて、フォームが屈みぎみになるので、もうメインにはできないな、なんて言った縄。
実は、あれからさらに3回切れた。
結局、短くなった縄に慣れて使い続けたのだ。3回切れたのは、どれも手元。縄の、グリップから出てくるところ。フリースタイルの中にフェイクドンキーやロンダートを入れていたせいで、グリップ周辺が地面(土の上)で傷ついていたらしい。
それでも「まだ跳べるかな」と思って、切れるたびに短くなる縄で跳んだ。でも、ある日、縄の中央に亀裂が入っていることに気づいた。2つに折ったときのちょうど真ん中。よく偶然気づいたと思う。たぶん、あれでもう一度跳んだら、真っ二つだった。
なんだかショックだった。
すでに3回切れていて、いつかこの縄に終わりが来ることくらい、わかっていたはずなのに、「もうこの縄で跳べない」という事実が想像以上に重かった。
きっとこの縄に頼っていたんだと思う。
ずっとこの縄で跳び続けた。フリースタイルはこれで何十回もやった。一度もノーミスは達成できなかったけれど、この縄を握れば、また新しい技ができると信じられた。
可能性を広げてくれた縄。
握るたびに、次にどんな技を跳ぼうか心躍らせた縄。
量産品の1本だとしても、やはり自分にとっては特別だった。
縄を眺めると、小さな傷に入り込んでぬぐえない土のあとが見える。地面を数えきれないほど打った中央部は、地道にしわを刻み続けた熟練工の手のひらのようだ。そして、力と汗を押しつけられ続けても、ずっとその形でいたグリップ。リリースとキャッチに失敗してばかりで、端っこはかりかりに欠けている。
やっと休むときが来た縄。縄としての力を出しきって、その役目を終えた姿は、まさに「引退」だった。
限られた人にアピールしてきただけの僕にも、いつか跳べなくなるときが来る。そのとき、あの縄のように、力を出しきった姿になれるだろうか。
あと何本、縄を切るかわからない。それでも、気持ちは切らさずにいたい。
縄の楽しさを教えてくれたあの縄への感謝は、これからの技が握っている。