とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

113 いろんな人が跳べるために

今回も「なわとびと発達障害のこと」。

前回の続きです。

前回書いたのは、発達障害の人が小さな部分でもこだわりがちだということ。そのせいもあって、複数の物事を同時に行うのが苦手なため、複数の動作が含まれるなわとびが苦手ということも書きました。

今回書くのは、その対策です。

大きく言うと、「こだわりを減らすこと」だと思います。

ぼく自身、発達障害傾向なので、実感として言うのですが、こだわりは消せません。表向き、気持ちを切り替えられたとしても、頭の中には残っています。なので、あらかじめ、こだわりを1つでも減らす方向で向き合うのがいいのではないかと思います。


その1つが、前回の最後で書いた、「なるべく何もないところで跳ぶ」ことです。

特に、いろんなことにこだわりがちな人は、なわとびの動作だけでなく、目に入るもの(視覚情報)や耳に入ってくるもの(聴覚情報)も、瞬間のこだわりの対象になります。集中できない分、思うようになわとびの動作を行えません。体を動かそうというスタートラインにも立てていないのです。

できれば限られた空間で、静かな場所で。

これだけでも、かなりこだわる要素を減らせます。よくよく考えれば、「集中しやすい環境」ということで、誰にでもあてはまる対策です。こだわりの度合いが違うだけで、対策自体は、発達障害の例を大多数の人にも使えるわけです。

自分の演技は、今のところ、スタジオで撮った動画が一番です。人前の本番はほとんど失敗でしたし、公園や体育館の練習も、そんなにいい演技をできているわけではありません。それだけに、スタジオで(しかも一発で)あれだけ跳べたのは、自分でも驚きでした。

今思うと、集中しやすい環境だったのが大きいのかもしれません。人目もなく、公園や体育館のように空間が広すぎるでもなく、跳びながら気持ちがそれてしまう要素がかなり少ない場所でした。


もう1つの例は、「動きを固定する」ことです。

それもなるべく明確な基準に沿うのが大切です。「前跳びで予備跳躍3回してから」とか、「縄を2回回す音がする間ジャンプをする」とか、きっちり従えばできそうなことを、確実にできるようにします。

これも、自分のやることをはっきりさせることで、こだわる要素を減らしています。そこが定着してくれば、気になる点が1つ減ります。同時に、自然に跳べる部分が1つ増えます。そうやって、次第に、他の部分の練習に移っていけるわけです。

「子どもには明確な指示を出す」のに近いですね。初心者に教えるときにも、混乱しないように具体的なステップを踏んでいく教え方があります。

これも、そこまで特別な対策ではなく、むしろ一般的な内容に近いのがわかるのではないでしょうか。

上で書いた環境を整えることと同じで、相手が発達障害であろうとなかろうと、対策としてやっていることは同じなのです。違うのは、発達段階や障害の度合いでどれだけ調節しているかという部分です。


ことさらに障害者と健常者の平等を訴えるつもりはありませんし、両者の間にはれっきとした差があって、意識せざるを得ないと思います。ただ、同じ平面の上にいるのは確かで、たとえばこだわりの度合いが大きいか小さいかが、平面上の位置を分けているのでしょう。

いくつかのものが目に入ったとき、見えたものに対して、頭の中で60%くらいこだわる人もいれば、 5%くらいちらっと気にするだけで済んでしまう人もいます。

それでも、その 5%はわずかといえどもネックになります。その程度なら発達障害者とは言われませんが、その 5%は「発達障害的」な部分ではあるのです。誰でも、対策はその「発達障害的」な部分に打たれると言っていいのではないでしょうか。

5%なら微妙な手首のクセを指摘するくらいでしょうし、60%なら体が傾きすぎている状態がスタートでしょう。 5%なら指摘で解決。60%だと、まずは遠くを見て跳ばせて、良くなっていればその映像を見せて、成果を明確に見せることにつなげていくなど、それなりの時間をかけます。

でも、もともと解決したかった部分は本人のこだわりなのですから、放っておけばまた戻ってしまいます。指摘や体験で、矯正していると言っていいでしょう。


発達障害は治せない」と言われます。

事実かどうかはともかくとして、ぼくはそのとおりだと思います。行われるのは、「治療」ではなく、「克服」「対策」というのが一番近い気がします。

当たり前のことを、気持ちが楽になるように行う。

そんな考え方が、発達障害の向き合い方として書かれているいろんな方法の根底にあると思います。発達障害に限らず、普段目にするいろんな問題についても、こういう考え方で向き合いたいですね。

もっとも、たいていの問題は、誰かのこだわりがぶつかって生じていると思いますし、そういう意味では、たいていの問題は「発達障害的」な部分に根ざしているのでしょう。それなら、上の考え方はいつでも取り出したい大切な手段です。

なわとびもまた同じです。

直したい部分を本人のこだわりによるものだとすれば、簡単には直せません。でも、解決するなら、克服や対策でも十分です。そんなとき、解決を求めている人を、気持ちが楽になるように導けるといいですね。

発達障害をキーワードに長く書きましたが、最後にたどり着きたかったのは、この部分でした。

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普段のテーマとちょっと離れた内容でしたが、ここまで読んでくださったかた、ありがとうございました。次回からは、なわとびの話に戻る予定です(笑)。