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とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

163 ゼータの誘惑

今回は「跳び方のこと」。

なわとびで「くの字」というと、足を伸ばした跳び方を指すことが多いです。

ひらがなの「く」で、書き始めが頭、曲がるところが腰、そこから右下に伸びているのが足。そういう姿勢で跳ぶ姿がくの字に似ているからです。

個人的には、逆に膝を思いきり曲げて跳ぶ姿も「くの字」の1つだと思います。足がくの字に見えるので……。足の向きとしては逆になりますが、一番近そうな文字は ζ かな? ちゃんと表示されてますかね? ギリシャ語で小文字のゼータです(笑)。

足を伸ばすくの字よりも、 ζ のほうが多そうですね。今回は、膝を曲げる ζ も含めて、「くの字」と呼んで書きます。どちらも、あまりいいフォームではないと言われます。


最近、そもそも「なんでくの字になるのか?」と思いました。

高く跳ぶためだと思います。

とにかく縄を足の下を通そうと思うと、足の下の空間を大きく作ろうという発想になります。そこで、膝を曲げるパターンと、逆に膝を伸ばすパターンが出てきます。最初に書いた「くの字」ですね。

どちらも、高く跳ぶというより、すこしでも足が地面に着くのを遅らせて、滞空時間をかせごうという発想なのでしょう。

これを考えているときにさらに思ったのが、「なんで高く跳ばないといけないのか?」でした。

これ、学校でなわとびしてる子どもを遠くから眺めているときに思いついたのですが、そのとき僕の目にとまった「くの字跳びをしている子たち」は、ほぼすべて、「回し方がぎこちない子たち」でした。

つまり、うまく回せない→縄の位置が高い・速く回らない→ジャンプを高くしないと引っかかる、という流れから、くの字が生まれているのです。


くの字の原因は回し方にある。

この流れは、回す技術のなさを強引な跳び方でカバーしているわけで、あまりいい状態には見えません。

どのへんがよくないかというと、体にムリがかかるというのが1つ。

運動力学とか正確な話は抜きにして、普通に跳ぶより疲れます。子どもの2重跳びでよく見ますが、この跳び方で何十回も続けられる子はほとんど見ません。

加えて、体にかかるムリ(負荷)がケガにつながりやすいと思います。膝を曲げればしゃがみ着地で、腰や膝が急激な力を受けることになります。膝を伸ばせば、空中で腰のあたりで体を支えることになって、腰に負担がかかります。

子どもは体が柔らかいので、筋を痛めることは少ないかもしれませんが、危険に気づかず運動をしていることにならないでしょうか。正確な根拠はありません。同じような姿勢でムリをして腰痛持ちになったので、不安というだけです。

もう1つ、跳び方が中途半端なままになる可能性があります。

前回、162 中途半端にしか跳べない理由で書いた話です。くの字で跳べたと思っても、それは足の下を縄が通ったというだけです。でも、それで満足してしまえば、その子にとっては、くの字が「跳べる姿勢」になってしまいます。

つまり、くの字で完成してしまう可能性があるということです。上の身体的なデメリット、危険を考えたとき、あまりいい話とは思えません。

でも、跳べてしまうと、どんな跳び方でもいいからまた成功したい、という気持ちが生まれてしまいます。誘惑みたいなものですね。

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最初はどうしてもそうなる、そこは仕方ないと思います。

デメリットがある一方で、跳べる感覚をつかめるというメリットもあります。気持ちの面でも、まったく跳べないままよりはずっといいでしょう。

回し方の問題だと上で書きましたが、跳べる感覚がつかめると、「どうやったら縄がうまく通ったのか」を考えるようになります。上手になるって、結局、うまくいったときをどれだけ再現できるかですからね。

まわりの跳べる子はくの字になってませんから、それも刺激になって、だんだんと回し方も上手になるでしょう。

それまで、くの字は、みっともなくても自分の成功です。そこにこだわってくの字を続けてしまうのも誘惑、そこから回し方を上達させてもっと跳べるようになりたいと思うのも誘惑です。

負けるなら、どっちの誘惑がいいですか?