今回は「なわとびのこと」。
最近、なんのためになわとびしてるんだろうと思います。
2/20に、名古屋で「楽しもう!なわとびin愛知2016」が開かれました。この地域では数少ない(ひょっとしたら最大の)単縄イベントです。1年前は、自分が初めて参加して、演技もさせてもらったイベントでした。
今年は出ませんでした。
年末に理由はいろいろ書きました。なんかもう、ほんとに気が乗らなくて、お誘いがあってからすみませんと返事をするまで、ほとんど迷わなかったと思います。
ただ、なんでやる気が出ないんだろう、みたいな苦しさはありました。
イベントに参加したり、人前で跳んだりするだけが、なわとびを続ける目的じゃないと思いますが、なわとびで演技をやっている自分が、人前で跳ばないでなんで演技の練習を繰り返してるんだと、普通は思います。
自分で言うのも変ですけど、もったいないじゃないですか。この地域で数少ないフリースタイルなわとび(厳密に言うと規定外ですが)をやっていて、これまた数少ない見せ場だというのに、なんで出ないのか。
もしなわとびをやる人が増えてきたら、技術的にも年齢的にも、だんだん苦しくなります。まだマイナーな「今だからこそ」、自分には人に演技を見せるチャンスがあります。
演技はともかく、イベント自体の参加をお断りしたあと、チャンスをつぶしたことで、後悔できるかもしれないと考えました。「後悔できる」っておかしな言い回しですけど、いざチャンスがつぶれれば、何かわきあがってくるんじゃないかと、自分を試すような気持ちがありました。
でも、たいして気持ちは変わりませんでした。
もう一度気持ちが盛り上がるでもなく、当日の様子を動画やブログで見て、同じ場所に自分が立っているイメージがわかなくて、「しかたないな」と思うような、そんな、1年で遠く離れてしまった感じでした。
やっぱり、行きつくのは演技する自信がないことですね。
別に演技したくないわけじゃないんですよ。演技を見せたいというのは、なわとびを続けた大きな理由の1つです。初めて呼んでもらえたときも、そこで声をかけてもらえた部分もありました。イベントはそれ以外の企画のほうが多いのに、何かというと演技演技とわがまま言ってますが……。
今の演技が、動画に上げたくらいの完成度でいつでもできるなら、今年も跳んでいたかもしれません。その流れで、イベントのお手伝いも気持ちよくできたと思います。
実際はばくちですね……。始めから、だめもとで跳びますくらいの前ふりで跳ばなきゃ厳しいです。「今回はどれだけ成功するのか? ではどうぞ!」 もうそういうキャラを作ったほうがいいくらいじゃないかと(笑)。
自信がないなりの逆転の発想ですが、そういう場面なら、失敗する姿もパフォーマンスになるのかな、と思いました。雰囲気作りしだいでは、跳ぶ人にとって、失敗が重荷にならない舞台というのもあるのかもしれません。
まあ、「お客様は神様」理論と同じで、あくまでもまわりが認めることであって、本人が主張することではないんですが……。
うまくいかない演技は、もう演技じゃないし、人に差し出せない。
そう考えていたのを、すこし思い直せた気がします。もちろん、うまく跳べるのが一番なんですけどね(笑)。
自信がなくて、ここ半年は、なんとなくなわとびを続けてきました。
そのわりに、今の演技は自分なりにかなり攻めたものになったんですが(笑)、今でも、やっていることの大半は、ただ目の前の技に挑戦したり、時間のあるときに学校で子どもと跳んだりして、自分のやりたいなわとびだけを跳んでいる感じです。
最初に書いたように、なんのためになわとびしてるんだろうと思います。
特に人に見せるでもなく、自己満足で続けているなわとび。
「遊び」なんでしょうね。楽しい遊びでもあり、遊び半分のような適当さもあり、苦しいところからはちょっと逃げて。
こういう状態でいつまで続けられるかわかりませんが、今はまだ跳べる楽しみを持っていられるのを、幸せだと思ってます。