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とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

205 目に宿る、経験と予見

今回は「見る力のこと」。

ヨーロッパの大会の動画で、SEBOOOを跳ぶシーンを見ました。

フリースタイルの中でそれをやってしまうのもすごいんですが、よく自分もそんな技を目でとらえることができたなと思ってしまいました。

なわとびの動きは、特に高レベルの多回旋ほど速いです。3重跳びよりも4重跳びのほうが、速く縄が回るということです。はたしてその動き、本当に目でとらえているのでしょうか?

たぶん、縄の動きを追いきれていないと思います。

それでも「わかる」のは、慣れたから。経験と予見が、技をとらえているのです。


僕は、多回旋を「比較」で見ている気がします。

SEBOOOなら、

SEBOOを普通に跳んでしまいそうな人がしゃがみ着地に近い跳び方をしている
→SEBOOよりも難易度が上の技っぽい
→Oをかなり回していたから、きっとSEBOOO

……というような流れが頭の中に浮かんで、技を判断しているのかなあ、と。

つまり、「SEBOOはこれくらいの勢いで跳ぶ」というの知っているから、そこと比較しているわけですね。何度も動画でSEBOOを見た「経験」が、それ以上のものを理解させてくれるのです。

それより先に、SEBで技に入った段階で、だいたいどんな技がくるのか「予見」できます。動きが完全に見えなくても、技をしぼりこんで、その中から選べます。動きを全部目でとらえて技を判断するよりも、候補の中から見つけるほうが簡単なのです。

経験から予見することができて、予見を超えるものでも、経験と比較して1レベル上の技を理解できる。目で追いきれなくても、技をとらえられる仕組みって、きっとこういうことです。

縄の音が聞こえれば話は違ってきますが、動画も完全に音を拾っているわけではありません。やっぱり、経験や予見で、わからない部分を補っているのです。


あと、ルールを逆手に取った「読み」もあります。

フリースタイルで同じ技を繰り返したら、2回目は点数になりません。これを知っていると、同じような技に見えても違う技のはずだと考えるのが普通になります(笑)。

たとえば、動画を見ていてこんなことがありました。

後ろSASOと後ろSOASがすでに跳ばれた(見てわかった)状態で、また後ろSASOっぽい技が出てきました。でも、後ろSASOとは思いません。点数のつかない繰り返しになってしまいます。動画なら再生できるので、もう一度見るとSOASOで、やっぱり違う技でした。

ほんとはその場でわかればすごいんですが、少なくとも、「何か違う技だ」ということはわかります。ルールや技を知っているという経験があるから、同じじゃないと予見できるわけです。

これもまた、目で追いきれていないけれど推測でわかってしまうパターンですね。


こういうの、自分で跳ぶときに活かせないかなあと思います。

相手の経験や予見、そこから来るであろう反応を計算に入れた演技――なんてハイレベルな話じゃなくて、経験や予見が自分の身についているなら、「このタイミングならこれくらいの力で」なんて瞬時に判断して技を跳べると、すごく理想的です(笑)。

それがぱっと出てこないところに、経験不足や体を動かす力のなさがあるのでしょうね。でも、練習で、1つ1つイメージしながら段階を踏んでいくと、ようやく何回目かに成功することがあります。これもまた、数回の挑戦の中で、経験と予見が活きている時間じゃないかなと思います。

HUNTER×HUNTER』というマンガに、凝(ギョウ)という力が出てきます。目にオーラを集中させることで、より多くのものを見てとれる技です。動きを知るスタートラインは、やっぱり人の動きを見る目の力。

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ていうかできるんかい(笑)。

これからも、経験と予見を身につけていきたいですね。