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とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

206 SはスタートのS

今回は「ジャッジのこと」。

フリースタイルなわとびのジャッジについて、興味深い話を読みました。

ふっくんさんが、今年の世界選手権でジャッジ(審判、判定)をしたときの感想だそうです。

サイドスイングの判定については以前から聞いたことがありましたが、それ以外にもジャッジでの悩みどころがあるのは初めて知りました。でも、目にとまって考えてしまったのは、そこではありません。

真面目にやっている人が得をする環境にしないと、適当にやっている人が有利になってしまいます。
   (上記ブログより)

これ、恥ずかしながら、全然考えたことがありませんでした。僕は、「判定が厳しいか甘いか」という視点でしかとらえたことがなくて、その判定で点数がどう変わるかということばかり見ていました。

でも、ジャッジする側としては、そもそも、上の引用のような考え方があって、そこで初めて「判定を厳しくするか甘くするか」という話になるのですね。当然、真面目と適当を線引きするためには、真面目な人だけが乗り越えられるライン――つまり厳しい判定が必要になってくる。すごく納得できる考え方でした。

仕事でも、適当な人のミスを、陰で真面目な人がフォローすることがあります。そのわりにフォローしてもらった本人はあまり気にしていなくて、周囲はイラッと……。

別に仕事だけじゃありません。街なかでごみを捨てれば誰かが掃除をしています。人間が小さいかもしれませんが、僕はそういうのがもやもやするほうで、「適当なもん勝ち」が好きじゃありません。

なので、上のジャッジの考え方にはとても共感しました。


その一方――。

だからこそ、「競技なわとびはできないな」と改めて思いました。

どういうふうになわとびに向き合っているかの違いなので、僕はこう感じるくらいで読んでいただきたいんですが、判定されることで楽しみを奪われると思うんです。

たとえば僕のTJは、S(サイドスイング)の部分が認められるかあやしいです。

サイドスイングが地面に当たったとき、足は(跳んで)地面から離れていなければならない、というルールがあります。僕は、サイドスイングの勢いと一緒にジャンプする跳び方なので、たぶん、サイドスイングが地面に当たったときにはまだ足は地面についています。

となると、ジャッジ的には、Sは不成立で、そのあとの「トード・O」だけが技として判定されると思われます。

それはそれでいいですよね。甘めの判定でTJにしてもらって、もっと完璧に空中でTJを跳んだ人と点数が同じじゃ、しっかり跳んだ人と差がつきません。

でも、ジャッジと関わりが薄いと、サイドスイング1つでも不成立になると、ケチがつくようでおもしろくありません。要するに、ジャッジと関わりが薄い人って、評価されるために跳んでるわけじゃないんですよね。

そういう人は始めから競技には出ませんし、出るなら評価される覚悟を持って出ます。当たり前といえば当たり前ですが、そこが競技に足を踏み込むということです。軽い気持ちでフリースタイルに出場してみたら、思った以上に低い点数を突きつけられる、そういうこともあるわけです。


やっぱり、どういう環境で跳ぶかという違いですね。

単純に、見たことのない技を跳んでみたくて跳んで、人に見せてみました、くらいだと、S(サイドスイング)から始まる技でSが成立してるかどうかなんて、ほとんどの人が気にしない環境です。本人だってそれくらいの心構えです。

僕もそうでした。そのうち、動画で自分の姿を見たり、競技経験者と知り合ってアドバイスしてもらったりするうちに、もうすこし完成度を高くしないと、と思うようになりましたが、そこまで完璧を求めなくても……という気持ちは今もあります。そして、完璧を求めなくてもいい環境にいます。

一言で言えば自己満足です。

でも、ジャッジはそんなわけにはいきません。人と人を比べるために基準があって、仮にたった1人でも、基準をもとに判定しないといけません。

本当の自己満足なら、そんなことを気にせずに出場して跳べる、とも思いますが、出場すればどこかでジャッジが自分を照らして見ているのです。本当にそれを気にせずに跳べるかといったら、自分はムリです(笑)。そういう話です。

ジャッジに照らされる競技の世界は、やっぱり合わないんだな、と思いました。


去年の今ごろも同じようなことを書いてました。

アジア大会の動画を見ての話でした(137 大会と夢の終わり)。やっぱり本気の世界にふれると、自分にそこまでの度胸がないのがよくわかります。

SはサイドスイングのS――のはずですが、ただ跳んで楽しみたいと思ったとき、Sはただ、楽しみの始まりで、スタートのSなのだと思います。

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ジャッジの話はともかく、自分には合わないなんて、わざわざ声に出さなくても……と思われそうですが、僕はこれが単縄の多様性だと思います。人はいろいろ。単縄人もいろいろ。

自分が近づいた場所がそうだっただけかもしれませんが、単縄は競技寄りのムードに見えていました。僕はそこまで上手じゃありませんし、ブログだっていつまで続けるかわかりません。それでも、今何か発信できるとしたら、ジャッジとは離れた単縄の風景なのかな、と思います。