今回は「アドバイスのこと」。
以前、こんな話を読みました。
おぼれて泳ぐのが怖くなってしまったお子さんが、もう一度泳げるようになるまでのお話です。怖かった気持ちを乗り越えたお子さんにも、ずっと心配していたお母さんにも、よかったねと言ってあげたくなる話でした。
読んでいて考えさせられたのが、スクールで教えてもらっているときの話。
顔をつけて浮いた姿勢から、こうすると立つ姿勢になれる、のように教えてもらっているシーンがあって、やっぱり的確なアドバイスがあるんだ、と思ったんですね。
当たり前といえば当たり前の話で、泳ぐ前に水に入ったり出たりできなければいけませんし、そのために水の中で立てるようにならないといけません。ましてや、一度おぼれた経験のある子のことです。水に安心しないといけないんです。
僕は、子どものころにスイミングスクールに通わせてもらえました。
検定試験でタイムが出せるわけでもなく、泳法だけ身につけたくらいで通わなくなりましたが、学校の授業ではそれで十分でした。
両親としては「もしものときに役に立つ」のが一番だったみたいで、水に入るのが怖くない子どもでいられたのはありがたかったですね。当時の自分は、そんな安心感なんて知ることもなく、プールといえば水で遊んで楽しめる時間でしたが(笑)。
ただ、そうやって楽しめたのは、教えてもらえたからだと思うんです。
自分の運動センスだと、スイミングに通ってなかったら泳ぐ感覚をつかめなくて、水が怖かったかもしれません。それを考えると、スイミングという場で教えてもらう機会があったこと、そして、教えてもらえる指導法があったことは大きいことなのだと思います。
おぼれた経験のある子ですら、泳げて笑顔になれるんですから。
なわとびでも同じです。
なわとびには、水泳のようなおぼれるレベルの危険はありません。とはいえ、うまく跳べなくてイヤになってしまえば、事故が怖くて水から離れるのと同じで、縄を持たなくなってしまいます。
危険度の違いこそあれ、気持ちが離れてしまうのは一緒ということです。
イヤだと言っても、夏に水泳の授業があるのと同じで、冬になればなわとびが体育の時間や全校運動で行われます。
そのとき、苦手意識のある子を助けられるのは何かと言ったら、「的確な教え方」なんですよね。少なくとも、上のブログの水泳の話を見れば、大きな助けになりそう、と思えます。
自分にそれができているかといえば、自信はありません。
最初は人に教えるなんて考えもせず、ただ見よう見まねで技を覚えていました。感覚で身につけていくばかりでした。なので、大ざっぱにフォームはわかっていても、それが的確かどうか答えられません。基本のキを飛ばしていたようなものです。
前回の夏祭りの動画で書いたように、基本の動きが的確なら、暗くても狙ったところに縄が来て、縄が見えないから跳べないということも減ったと思います。
的確に跳べないのに、的確に教えられるのか。
選手とコーチは別物と言いますが、基本部分なら、コーチも自分で実演できたほうがいいに決まっています。相手は子どもです。できないよりできたほうが説得力があります。理屈よりも、「だからできる」「だから大丈夫だよ」という安心感を与えられるのが、できること、教えられることなのだと思います。
夏祭りでの演技が終わって、演技に向けた練習から、いったんは離れられる時期になりました。まだ先とはいえなわとびシーズンが近づいてきます。毎月の児童館のクラブ、学校でのクラブもあります。教える機会が何度もやってきます。
できなくて気持ちが離れそうな子を、ムリにつなぎとめる必要はありません。人には得意も不得意もあります。ただ、基本を押さえて、すこしは跳べてからなわとびを終えてもらったほうがいいなと思うからこそ、自分が基本を押さえられないと的確なこともアドバイスできません。
まずは腕の開いたフォームについて、ここで考えてみたいと思います。