とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

286 なぜなわとびは施設に断わられるのか

今回は「施設のこと」。

縄のまっちゃんこと粕尾将一さんのブログで、この話を読みました。

この問題は自分も過去に直面して、書いたことがあります。

238 床にキズが玉にキズ(1)
239 床にキズが玉にキズ(2)
243 アウト

今のところ近辺では、屋内で練習できる施設はほぼゼロという状況です。メインが公園なのでそんなに支障はないのですが、粕尾さんのブログを読んで、壁になっているものに思い当りました。


それは「何か言ってくる人」です。それも架空の。

なわとびで施設の利用を断られるのは、多くは床のキズとか、教室を開くなら営利目的にひっかかるとか、何か理由があります。でも、断られる理由は、本当はそこじゃないと思います。

仮に許可した場合、だれかが文句をつけてくる可能性があるんですよ。

あれはここでやっていいのか、あれを認めるのはズルじゃないのか――ひとごとなのに見過ごしておけない、そういう人の声を、施設は想定しているんじゃないかと。

以前研修で、講師の弁護士さんが言っていたことを覚えています。

「今はネットでどんどん個人が情報発信できます。誰かが得をしたことを書くと、他の人も『自分も得をしよう』と行動しやすくなります。他人だけ得をするのが許せないんですね。言わなきゃ損、というのが現実に起こりやすくなって、言われた相手側の人が困って相談に来る。そういうケースが増えているのを実感しています」

企業や自治体の顧問弁護士としての経験からの話だったか……。事故防止とか危機管理でいろいろと基準が増える・制限が強くなることも増えました。そこを違反した「と思われると」、物言う人にとっては材料がそろってしまうわけですね。

それを考えると、たとえスポーツ振興の理念があったところで、建前になります。施設の管理者も、本音はどんなスポーツでもウェルカムで施設が役立てばうれしいんでしょうけど、

 トラブルのデメリット > 振興のメリット

という図式が浮かぶのが現状です。


予防線、予防線、なんです。

だって意見の強い人をうまくあしらえる人なんて、そうそういませんから。意見の強い人は、感情論でめんどくさいか、理論武装してくるからやたら時間をとられるかのどちらかが多いです。

そのためだけではありませんが、基準を作って、それ以上「希望者側の」話に応じない。あいまいさを作って許可したら、そこをあぶりだして何か言ってくる人が想像できますから。

単純に言えば、「やっかいを避ける」というそれだけですが、なわとびは条件的にそこに引っかかってしまっているんですね。

では、なわとびくらいでそこまで床にキズがつくか? おそらくつきません。同じ体育館でも、バスケやバドミントンだって、ときにはかなり床をこすりつけているのです。それはキズにならないのか?

単縄が珍しいので、施設が判断しづらいのは事実でしょう。ただ、施設も見えない圧力で「万全」を求められているのもまた事実です。何かあれば管理を責められますし、何かなくても想像で物を言われることもある。結局、やっかいを避けて逃げを打つのが、「万全」になってしまうのだと思います。

施設自体が、条件に縛られているのでしょう。断られるなわとびがマイノリティゆえの犠牲者だとすれば、施設もまた、「万全」を求められるゆえの犠牲者です。


架空の何か言ってくる人に応じられるのは、これもまた何か言える人だと思います。

スポーツ振興のメリットを信じて、責任を持って許可できる胆力のある管理者。
使う側も譲歩して、全面マットを準備するなど、施設に安心を提供できる利用者。
割高な民間施設を使う代わりに、公的な助成を作れないか交渉できる努力家。

もし将来、なわとびも普通に施設が受け入れてくれるときが来るなら、何がきっかけになっているんでしょうね。

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「なわとび 施設」で画像検索して描いてみました。よく見たら、同じ愛知県内のある市の体育館。ほんとに地域しだいですね……。