今回は「習得のこと」。
正月に酔ってつけたタイトルではありません。
「習うより慣れよ」という言葉があります。読んで字のごとく、教えてもらうより自分で覚えたほうがいいという意味です。
この言葉だと「習う」ですが、「ならう」にはもう1つ、マネするという意味の「倣う」があります。模倣の倣ですね。今回は、このへんからなわとびの話を。
習うより倣うのが先になる
単縄を実際に教えてもらえる場所って、そういくつもありません。教えてくれるような人があまりいなくて、動画などを見よう見まねでやってみるのがスタートになります。
僕もそうでした。お手本はすべて動画。技としての動きから、手の位置やグリップの角度まで見て、自分で研究することになります。
最近は変わってきたかもしれません。単縄をやっている団体や教室が出てきて、始めから単縄を習う(=教えてもらう)のがスタートになっている人もいるみたいです。
これ、練習環境という意味で、すごくいいことだと思います。倣う(=動画などで練習する)場合、一緒にやってくれる人がいなければ当然ひとりで、屋内施設も借りられなければ、僕みたいに公園でひとりで跳ぶという、浮いて見える状況になるので……。
団体や教室は、そういう気まずさで踏み出しづらかった人たちの「受け皿」にもなるからいいな、うらやましいな、と(気まずさに慣れてしまった)僕は思います。
倣えないなら習うしかない
ところが、マネだけではうまくいかないこともあります。
やってるつもりなのに思ったように縄が回らない。自分の動画とマネしたい動画を見比べて、足りないところを近づけるように ―― しているはずなのに、それ以上やりかたがわからない状態です。
人それぞれ、とりあえずの限界はあると思います。そのときは、いったん、自分以外の目で見てもらうと、気づけなかったところがさっと開けて、先に進みやすいんじゃないかと……。
「三人寄れば文殊の知恵」なんて言葉もありますが、やっぱり単縄でそれなりのアドバイスができる人に見てもらいたいです。「習う」ですね。近くにそういう人がいなくても、動画でのアドバイスも受け付けますよ、という通信教育みたいな例もありますし。
ただし、全部が全部アドバイスでなんとかなるわけではない……という話は次回に回そうと思います。
今回はなわとび教室のイラストで。同じ愛知県の団体さんのようです。
相変わらず語って描いているだけのブログですが、今年もよろしくお願いします。