とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

334 予防線攻防戦

今回は「予防線のこと」。

はしかが広がりつつあると報道されて、学校も微妙に神経質になっています。

流行といえばインフルエンザ。猛威をふるっていた冬に、集団予防接種の記事を読みました。昔は、学校で全員予防接種を受けていました。今はありません。

大ざっぱに言うと、「何かあっても責任が取れない」からやめたようです。

僕も集団予防接種を受けていた時代の人なので、今ごろになってなくなった理由を知りました。ワクチンで副作用が出て訴えられたとか、ワクチンの効果に疑いがもたれたとか、集団予防接種をやるといろいろ問題が起こるので、それ自体をやめてしまおうということだったようです。


なわとびの施設問題に似てますね。

床にキズがつくかもしれないから。だれかの迷惑になるかもしれないから。

かもしれないは受け入れない。予防線というやつです。僕はもう、屋内練習にこだわる理由はあまりないので、場所探しはしてませんが、求めていたころは次々と拒否られてへこみました。

ただ、そう言われやすいのがわかっている以上、なわとびしたい側も予防線を持っておく必要はあると思います。実績? 熱意? 集団の信頼? 今練習場所を持てている人たちがどう努力したのかは知りませんが……。

僕の場合、逆に、床を傷つけるかもしれないとはっきり言いました。実際、公園で、難しい技で体勢を崩せば地面はグリップで傷つきます。「かもしれない」マイナス面を素直に出したのは、トラブルにしたくなかったからです。これもまた予防線でした。


予防線といえば、ネットでは「予防線っぽさ」が多くなったと聞きます。

「炎上」「批判」がよく話題になるので、だんだん予防線で差し障りのないことしかみんな書かなくなってきた(あるいはそもそも何も発信しない)という話も読みました。SNSとかスマホとか発信手段が増えたように見えて、実はピークは過ぎて、発信自体はもう増えない(増えにくい)のかもしれません。

前々回、332で単縄がマイナーから広がってくれば、発信する人も増えるかな、と書きましたが、それは「読みたい、知りたい」という自分の願望であって、単縄人口が増えれば発信者も同じように増えるとは限らないのかもしれませんね。

単縄的にはすごいことでも、発信したら、理解できないので茶々を入れてくる人もいます。幸い僕はそういう人にはほとんど出会ってませんが、他の人が言われるのはいくつか見ました。どんな話題でも、一定数そういう人はいます。

何か言われても自分を保てる人ならともかく、そうでなければ、一部の人に対して予防線を張っておかないと、発信なんてできません。言われたらどうしようか、と考えることすら予防線ですからね。


でも、それで苦しむのはイヤです。

どこまで予防線を張るのか ―― そんなことに悩むぐらいなら、発信なんて、しないか適度にしておいて、ミスのリカバリーのための予防線を考えるほうが楽しい。そんなふうに思う人もいるのかなと思います。

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せめて笑いのある終わり方にして今回のイメージを調整しよう ―― という公開前の予防線でした。