とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

368 どうして「手首とわき」は生まれたのか?

今回は「教え方のこと」。

手首で回そう。わきをしめよう。

よく言われるアドバイスです。同時に、悩ませる声かけでもあると聞きます。

「そのとおりにすると回しにくい」ということですね。これは、僕もブログを書く中で思ったことがありました。

244 「手首で回す」は正しいわけじゃない
245 わきをしめるは「ひじをつける」

このころは、手首もわきも基本だと信じた書き方になってます。と言いつつも、回しにくさも感じていた書き方もしていました。

でも、なぜこのアドバイスがここまで大きくなったのでしょうか?


「もうすこし」がそのまま答えになってしまったのだと思います。

「手首」も「わき」も、完全な間違いではないと思うんです。

腕全体で回すよりは、「もうすこし」手首で回したほうがいい。
腕を開きすぎるよりは、「もうすこし」わきをしめたほうがいい。

たぶん、始まりはここです。明らかに回しづらそうな状態を見て、だれかが気づいてこう声をかけた。あるいは跳べる人はこう回していた。

あくまでも程度の問題で話をしていたのに、手首やわきといったわかりやすい体の部位や、使う・しめるといったわかりやすい動作がクローズアップされて、一人歩きするようになった。こういう歴史が、なわとびにはあったのではないかと思います。


では、それが放置されたままだったのはなぜでしょう?

アドバイスよりも本人の努力で跳べてしまったからだと思います。

そのとおりにすると回しにくいので微調整したとか、そもそも手と足のタイミングがずれていたのが修正されたとか、本人が何度も跳びながら成功に近づけてしまうことのほうが大きいのです。それを、「ほら!」とばかりに、手首やわきのアドバイスによるものだと結びつけてしまった――。

きっかけにはなったのかもしれませんが、「手首とわき」をまともにやると跳びづらいのを体験していると、だから結果に結びついたとは、ちょっと考えづらいです。

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最後に、手首やわきだけが回せない原因とは限りません。

さっき書いたように、手と足のタイミング(いわゆる協応)がずれて、回すことに意識が行っていないから手首やわきがゆるんでいるということもありえます。

先に手首やわきに集中させることに、ステップとしての効果があるかもしれませんが、やることが増えて混乱させてしまう可能性もあります。

手首やわきを「すこしだけ」と言うように気をつければよし、で安心してしまうと、また、いいようでよくないアドバイスになってしまうかも……。