とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

453 えとも縄もまた巡る

今回は「ブログのこと」。

6年前の年末に始めたブログも、これで6年になりました。

よく続いているものだなあと、ひとごとのように思います。単縄も同じだけ続けてきて、年齢的に、そろそろ跳べる技は頭打ちになっているはずなのに、書くことは次々浮かんできます。

数えきれないほど縄を回すのと同じで、ブログを書く理由も、何度も頭の中を回って巡りました。最近思うのは、読んでくれる人がそこから何を考えるかが大切なんだろうな、ということです。


ブログなどの、いわゆる情報って、「誰が得をするのか」が重要です。

これを読めば改善する!系の話は、広告でも話題のページでもよく見ます。でも、その手の話は、個人の経験や実績が根拠になっているものも多くて、意外と「みんな向け」になっていないというような話も聞きます。

うまくいった人の声だけがクローズアップされて、じゃあ、逆にうまくいかなかった人はどれくらいの比率なのか、効果のない理由は何か、そのへんの情報がなくて、平均値がわからないわけですね。

それだと、肩透かしを食う人も出てきて、結局、得をしているのは一部の人だけ、という話になります。


じゃあ、このブログを読んで、得をしている人ってどんな人なのでしょう?

上の改善する系の話でもそうですけど、「みんなに通じる話」になっていれば問題はないのです。なわとびなら、読んで、たしかにだれでも跳びやすくなるなら、みんな得をしているのですから。

でも、感覚的で言葉にしづらい技術の話がとりわけそうなんですが、やっぱり個人練習から生まれる話が多くて、上で書いた「個人の経験や実績が根拠になっている」そのものです。

それでも読んで得をしているのは、「自分の話につなげて考えられる人」じゃないのかな …… と思うのです。

ただ考えて、発想する。思いつくまで、考え続ける。発想というのは、それまで関係がなかった事柄の間に新しい関係性を見出すことだ。道がないところを飛び越える。

―― 森博嗣『喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima』

何度か読み返している、好きな小説です。今年も読みました。

なわとびの話が少ない中で、僕のブログが続いていることは、言葉の数だけなら価値のあることだと思います。ただし、たいていは個人的な文章です。それでも、それをとびまるという人の並べた言葉としてだけではなく、自分のなわとび技術、なわとびへのスタンスと照らし合わせて考えたかたは、きっと、得をする側に静かに回っているのだと思います。


今年は、思ったより跳べるようになった年でした。

サイドスイング+3重系にすこし余裕が出てきて、苦手だったリリースも、ステップしながらリリースキャッチに挑戦できるくらいになりました。別の小学校に転勤して、なわとび演技は見せる機会はなく、練習のおまけで続けている程度ですが、それでも昔に比べれば、ミスの減った練習になっているはず……。

その中で感じたこと、うまくいったと思ったことを、誰かに受け止めてもらえるように書いていければと思います。

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えとのイラストは5回目。水平回しするリリースを「ねずみ花火」と呼んでいるので、ねずみに回してもらいました。イノシシさん、あなた去年、インバースOCCという謎の技を跳んでいたのでは……。

えと的にはここが一巡ですね。どこまでこのブログを回していけるかわかりませんが、まずはまた1年、読んでくださりありがとうございました。