■ 仲間を作るのは自分の目
今回は「仲間のこと」。
「何かチームに入ってるんですか?」
たまに聞かれることがあります。前の学校で、演技したあとにはよく聞かれました。
やっぱり、単縄 ―― 特に曲に乗せてフリースタイルまで跳ぶと、1人じゃそこまでやらないだろうみたいなイメージがあるんでしょうね。聞いてくる人の頭の中にあるイメージで近いのは、たぶんダブルダッチだと思います。グループ、チームで作り上げているイメージ。
でも、僕の場合は1人です。そう答えると、「ああ……、そうなんですか」で話が続かない。聞いた人からすれば、「こういうチームがあって、普段こういう活動をしてて……」みたいな話を予想していたら、いきなりはしごをはずされた感じでしょうか。
聞いた人がおぼろげに感じているのは、「この人、なんで1人で続けていられるのかな?」という疑問でしょう。
こんな話を思ったのは、あるマンガの1シーンを読んだからです。
「高め合ってる」…
確かに2人ともさっきから 相手の動きからインスパイアされてるみたいに 新しい発想をバンバン上書きし合ってる…
ダンスがテーマだけあって、身体描写が刺激的で思わず動きたくなります。最初はあこがれだった格上の人たちのダンスに、練習を重ねてもまだ遠いと感じている主人公の、このモノローグ。
でも、主人公も、きっかけになった同級生や、ダンス部の先輩に圧倒されながらも、それを刺激として突き動かさられるように、ダンスの腕前を上げてきました。
上のシーンで主人公は距離を感じていますが、はたから見れば、主人公も同じ輪の内側で高め合ってるはずです。
チームがあれば、自分は高め合っていたんでしょうか。
おそらく、それでも難しかったと思います。一緒に練習する仲間はいましたが、自分に、高め合う仲間として見る力がなかったように思えるからです。
腕前の違いが大きかったですね。あまり運動をしてこなかった人が30代も半ばで単縄を始めて、腕前もそれなり……。仲間(と言っていいのか、一緒に練習していた人たち)は全日本や世界で入賞経験もある人たちで、今にして思えば、ファンとして見ていた部分も大きい気がします。
なんだか観察対象みたいな言い方でいけないのですが、うまい人は、それなりの意識を持って見つめなければ、参考にならないし、高め合える仲間として近づけないのだと思います。
技術は遠くても、どこかに近づけるところはないか?
感覚に違いがあっても、アドバイスをどう置きかえて考えればいいか?
実力差に圧倒されて、すごいすごいと褒めているだけでは、実力差を逃げに使って、こっそり立場をファンに変えてしまっているようなものでしょう。
結局、僕は自分のペースに合わせてここまで来ました。
1人の場面が圧倒的に多いままでした。それでも、動画などで刺激はずっともらえていますし、子どもに教えていると、基本的なところで自分が見落としていたことに気づきます。高め「合う」ことはできなくても、気持ちだけは高めていられたのかなと思います。
今回の『ワンダンス』の模写。抜き描きだとわかりづらいですが、帽子をかぶった女性が左ひじを上げて右腕を後ろに構えた姿です。コマの流れは横書きに合わせて左から右。POPPIN'(ポッピン) というジャンルでよく使われる、「ヒット」という技術だそうです。見つめるだけで、「なわとびなら」と刺激を感じますね……。
仲間の少ないなわとび時間を過ごしてきましたが、刺激と理想で続けてこられたのかなと思います。
そんな冬休み明け、今の自分で挑戦できそうなことをやりました。次回、再演。