とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

455 高め合う仲間は誰が作る

■ 仲間を作るのは自分の目

今回は「仲間のこと」。

「何かチームに入ってるんですか?」

たまに聞かれることがあります。前の学校で、演技したあとにはよく聞かれました。

やっぱり、単縄 ―― 特に曲に乗せてフリースタイルまで跳ぶと、1人じゃそこまでやらないだろうみたいなイメージがあるんでしょうね。聞いてくる人の頭の中にあるイメージで近いのは、たぶんダブルダッチだと思います。グループ、チームで作り上げているイメージ。

でも、僕の場合は1人です。そう答えると、「ああ……、そうなんですか」で話が続かない。聞いた人からすれば、「こういうチームがあって、普段こういう活動をしてて……」みたいな話を予想していたら、いきなりはしごをはずされた感じでしょうか。

聞いた人がおぼろげに感じているのは、「この人、なんで1人で続けていられるのかな?」という疑問でしょう。


こんな話を思ったのは、あるマンガの1シーンを読んだからです。

「高め合ってる」…
確かに2人ともさっきから 相手の動きからインスパイアされてるみたいに 新しい発想をバンバン上書きし合ってる…

―― 珈琲『ワンダンス』第12話「恩 vs. 伊折」(講談社月刊アフタヌーン2020年2月号)


ダンスがテーマだけあって、身体描写が刺激的で思わず動きたくなります。最初はあこがれだった格上の人たちのダンスに、練習を重ねてもまだ遠いと感じている主人公の、このモノローグ。

でも、主人公も、きっかけになった同級生や、ダンス部の先輩に圧倒されながらも、それを刺激として突き動かさられるように、ダンスの腕前を上げてきました。

上のシーンで主人公は距離を感じていますが、はたから見れば、主人公も同じ輪の内側で高め合ってるはずです。


チームがあれば、自分は高め合っていたんでしょうか。

おそらく、それでも難しかったと思います。一緒に練習する仲間はいましたが、自分に、高め合う仲間として見る力がなかったように思えるからです。

腕前の違いが大きかったですね。あまり運動をしてこなかった人が30代も半ばで単縄を始めて、腕前もそれなり……。仲間(と言っていいのか、一緒に練習していた人たち)は全日本や世界で入賞経験もある人たちで、今にして思えば、ファンとして見ていた部分も大きい気がします。

なんだか観察対象みたいな言い方でいけないのですが、うまい人は、それなりの意識を持って見つめなければ、参考にならないし、高め合える仲間として近づけないのだと思います。

技術は遠くても、どこかに近づけるところはないか?
感覚に違いがあっても、アドバイスをどう置きかえて考えればいいか?

実力差に圧倒されて、すごいすごいと褒めているだけでは、実力差を逃げに使って、こっそり立場をファンに変えてしまっているようなものでしょう。


結局、僕は自分のペースに合わせてここまで来ました。

1人の場面が圧倒的に多いままでした。それでも、動画などで刺激はずっともらえていますし、子どもに教えていると、基本的なところで自分が見落としていたことに気づきます。高め「合う」ことはできなくても、気持ちだけは高めていられたのかなと思います。

イラスト:帽子をかぶったオーバーオールの女性が左ひじを上げて右腕を後ろに構えた姿。コマの流れは横書きに合わせて左から右。間にドラムを打つイメージが入り、腰のあたりで体で空中を打つ効果線。ヒットという技術。

ビートに合わせて体で「打つ」

今回の『ワンダンス』の模写。抜き描きだとわかりづらいですが、帽子をかぶった女性が左ひじを上げて右腕を後ろに構えた姿です。コマの流れは横書きに合わせて左から右。POPPIN'(ポッピン) というジャンルでよく使われる、「ヒット」という技術だそうです。見つめるだけで、「なわとびなら」と刺激を感じますね……。

仲間の少ないなわとび時間を過ごしてきましたが、刺激と理想で続けてこられたのかなと思います。

そんな冬休み明け、今の自分で挑戦できそうなことをやりました。次回、再演。