■ 最小限を求める前に必要なこと
今回は「ミニマリストのこと」。
「必要最小限となんでも捨てるは違う」
ネットで日本と世界のミニマリストについてのコラムを読んでいたら、こんなコメントがありました。必要最小限にしつつデザイン的なセンスは残す海外に比べて、日本は捨てることが目的化していて頭が固い、という内容でした。
ミニマリストは聞いたことがある程度なので、実際そうなのかわかりませんし、求める必要最小限は人それぞれなんでしょうけど、わかりやすいコメントでした。
これ、なわとびに置きかえても、わかりやすい一言です。
小さな動きで、きれいに速く回す上手な人。
それをマネして、小さな動きでさばききれない人。
その人の実力に合っているかどうかが、浮き彫りになります。まさに、「必要最小限」を実践できているかどうかを表していると思えませんか?
冒頭のコメントを借りるなら、必要最小限の動きで回すことと、とにかく動きを小さくしてみることは違うのです。
縄を回すことに慣れてくると、初めて見えてくる「削れる動き」があって、最初は肩から腕全体で回していたのが、だんだんとひじから先、最後は手首中心になっていくのが一般的なイメージだと思います。
ここで言う手首中心の動きが「必要最小限」に当たるとすれば、そこにたどりつくまでのステップ・途中段階をすっとばして手首で回すのは早まりすぎ、という話になります。プロのかたがたもSNSなどで言われていました。
今回のタイトルは、「必要」と「最小限」に分けました。
必要なところを押さえつつ、最小限に。
こういうふうに分けてみると、まず大切なのは、「必要なのはどこか」です。
手首の動きが「必要」なものなら、回すのはラクになりますし、2重とび、3重とびはムダな動きが少なくて疲れません。ただ、これはあくまで結果の話で、必要なのは、縄がゆがまないことでしょう。(※個人の考えです)
小さな動きで縄をコントロールできない(ゆがんでしまう)なら、縄をコントロールするのが先です。たとえば、大きく回して縄を張らせる。まだその段階ということです。
縄のコントロール(=必要)ができて初めて、動きを小さくすること(=最小限)に手をつけられる。それが回すときの「必要最小限」かなと思いました。
単縄だと、EBやASのように、動きに制限が生じる技で同じことを感じます。
特に多回旋で、すこしでも動きを小さくして速く回したい …… と思っても、手を背中側や足の下に入れるという「必要」なフォームが半端だと、縄が小さくなって引っかかりやすくなりがち。「最小限」に向かう前に、自分で壁を作っているのです。
僕の場合、SOASとか後ろSASOでここにハマってます。腰を痛める不安や、体が固くてムリをしづらいこともまた、必要なフォームにたどりつけず、最小限が遠くなってしまう原因になりそうですね。
最小限をめざすことは間違いではありませんが、その前の「必要」がどこにあるのか。
ミニマリストの話から広げてみた、なわとびの話でした。