今回は「回し方のこと」。
縄がふにゃっとしないように……。
と子どもに言っているうちに、わりといい声かけだと思えるようになりました。
子どもが縄を見るようになったからです。
手の動きを伝えても、最後は回す縄に動きが表れないと意味がありません。フォームだけでなく、その先にある縄の動きを変えるような声かけをしてあげるのも大切では、という話です。
アドバイスをするとき、いつも問題を感じていました。
目に見える技術を指摘しても、効果が薄いのです。指摘はできても、どうすればよくなるかのアイデアがないので、指摘で終わってしまうんですね。
実のところ、なわとびにそこまで詳しくない人でも、「どこが悪いか」は案外わかります。
ジャンプするタイミングが合っていない、あやとびで交差を開くのが早すぎる、2重とびで回すのが軽い …… 実際に跳べる人の動きと比べて、できていない部分を指摘するだけなので、うまいへたに関わらず、「指摘はできてしまう」のです。
ここで問題になるのが、そのアドバイスが縄の動きまでつながっているかです。
たとえば、あやとびで、まず交差ができない子。バッテンが高いとか、腕を深く入れすぎているとか、見るからに直せそうな部分があります。
ところが、そこらへんを直そうとアドバイスしても、うまくいきません。理由はいろいろだと思いますが、縄がついてこないのが理由の1つではないでしょうか。
縄がついてこないとどうしてダメなのか?
・手の形を作れても、縄がついてこないから回せない → 跳べない
・縄がついてこないから、手の形を作る余裕がない → 回せない
大まかにいうと、こんな感じで2つのパターンがあると思います。矢印の先を見てのとおり、縄がついてこないと、跳ぶ・回すという大切な部分ができなくなります。
452 回しきれない理由は何か? で、回す力が弱まるのは、ジャンプに意識が行きすぎて手まで意識が行かないからでは …… と書きました。これと同じ理屈です。手の形を作ることに意識が行きすぎて、縄を動かすことまで意識が行かない。だからこそ、縄を意識させることが必要なのです。
基本的に、人は自分の姿は見えません。指導・アドバイスの意味はここにあって、見えていないことを見せてあげるのが「教える」ということなのかなと思います。
手の動きができていないのは、教える側からすればわかりやすい部分です。でも、縄がうまく回っていないこともまた、わかりやすいポイントです。
すべての子がこれで解決するとは言いきれませんが、「縄に気づいて」回し方がよくなりはじめる子を何人も見るようになりました。(もちろん、手の動きを教えたらそれで縄の動きがよくなった、というなら、それで十分でしょう)
最後に、似た考えで、「お手本のワナ」が思い浮かびました。
目の前で上手な人が跳ぶのを見てマネするのは、自分でどんどん感覚を合わせていきやすくて効果抜群です。ただ、手の動きを見てマネするだけで、縄がついてこない場合もありえます。
それこそ、小さな動きをマネしようとして、悪い意味で手首を使った回し方にしかならず、縄があまり回らない危険性もあります。
そんなとき、お手本になる側が、縄に気づいて一言出せるかが大切だと思います。