とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

008 本当の「フリー」スタイル

今回も「フリースタイルのこと」……に見えるが、内容的には「練習のこと」だと思う。

偉そうなタイトルをつけた。
TJやEKがしゃがみ着地になりかける程度の腕前の僕が、こんなタイトルを披露するのは重圧だとわかっている。でも、あえてこれで語りたい。これで語りたくなるような突き抜けた瞬間があったから。

前回、なるべく息切れや疲労を受け入れて跳び続ける練習を目標にした。
さっそく今日やってみたが、今までどれだけ疲れたところで休んでいたかを痛感した。無理なく、といえば聞こえはいいけれど、さすがに楽をしすぎだ。

苦しいと、疲れを言い訳にして腕の動きが手抜きになり、当然ひっかかって、「ああ、やっぱり自分はここまでなんだ」と言い訳を正当化してしまう。でも、苦しいなりに落ち着いて、あえて集中して跳んでみると、意外とこれまで通らなかった部分が通ったりする。力任せでなく、その瞬間、たとえばサテライトの動きで縄がよれていないかを確認することで、1つだけでも技が続く。

一瞬でも考えて成功すると、これが結構自信になる。何より、技が続くことが楽しい。構成も考えずに跳ぶ代わりに、なるべくひっかからないように瞬間瞬間で考えて、技が継続していく。

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……なんてことを考えたら、序盤に書いた「突き抜けた瞬間」に至ったのだ。

即興の技の連続。これこそ本当の「フリー」スタイルなのかもしれない。

いわゆるフリースタイルの「フリー」は、「個人が『自由に作ってきて』良い」という意味であり、あらかじめ構成してこなければならない決まりがあるという点で「完全なフリー」ではない。詳細なルールでも、75秒という時間枠、構成点や難易度における条件など、それなりに縛りがある。

もちろん、その枠組みがあるからこそ競えるわけだし、同じルールがあるからこそ、みんながフリースタイルという言葉を使うことができる。同じ土俵とは、共通の定義から生まれる。

それでも、即興で、その瞬間その瞬間で跳び回るのは、本当に楽しかった。

なんかここに書いてから、跳ぶたびに目標と感想がころころ変わっていく気がするけれど、それなりに満足できているのは幸せなことだ。

自由に跳び回れるようになりたい、というのは、結局、ひっかからないように個々の技の技術を磨くことでもあるしね。