とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

012 なわとび異邦人

今回は「児童への存在感のこと」。

最初に、小中学校の事務職員について書こう。
まず、事務職員は教員ではない。教員が教育職なら、事務は行政職である。市町村立学校が勤務地の公務員だ。教員免許も必須ではない。学校の経理や庶務、職員の給与などが主な仕事。

はっきりいって子どもへの存在感は薄い。思い返してほしい。小学校中学校のころ、学校にいた「事務の人」を思い出せるだろうか。いや、そもそも事務職員がいたこと自体、知っていただろうか。僕は採用試験を受けるまで、知らなかった。

子どもとの接点は、よほど積極的に声をかけている事務さんでなければ、少ない。職員室や事務室にいることが多いので、たとえば特別教室の鍵を取りに来るとか、掃除場所になっているとかでないと、子どもも近くに来ない。

さて、前回、少なくとも今勤めている小学校では長縄のほうが重視されていると書いた。だが、放課に短縄を跳んでいる子もいる。

シーズン前もシーズンに入ってからも、ときどき、近づいていって一緒に跳んでいる。技を見せると驚く。それはそうだ、はやぶさ、かえしとびが半分ゴールになっている中で、サテライト3重跳び、クルーガーからのインバースEBトード、カブースクロスからリリースなどを繰り出せば、未知の世界である。

目立つためにこれらを跳んだ。
そうすれば、まずは「この人、なわとびがうまい」と思ってもらえると思った。

でも、それだけだった。たしかに子どもたちはすごいと言ってくれたが、「この人は誰で、何のために跳びに来たのか」、きっと、子どもたちはそこで戸惑ったと思う。

ここに至って、まず「知られていないこと」が致命的だと気づいた。
子どもたちが構えるのだ。

関係が築けていないから当たり前である。
なわとびがそのきっかけになればと思っていたが、さらに問題があった。
この学校で働いている人、とわかってはもらえた。でも、「なんでここにいるの?」という空気がただよう。

僕の中では、まず腕を知ってもらい、そこから子どもになわとびを教えたいという気持ちがあった。実際、2重跳びで手が高すぎる子や、サイドクロスのタイミングをつかめない子にアドバイスをした。でも、それ以上の機運は高まらない。

ここに至って「自分の立場」に気づく。
僕は、学校が依頼した講師ではない。先生たちが「あの人に教えてもらえば?」と投げかけてくれたわけでもない。逆に、子どもたちだって、なわとびクラブに参加しに来た子どもではない。普通に学校の時間の中で跳んでいる児童なのだ。

僕は、子どもたちが自分の努力で練習している場所に現れた「なわとびがうまい人」というだけなのである。

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動機づけ、というといかにも指導目線だが、それがない状態で軽快に2重跳びを跳んで見せても、2、3回しか跳べずに苦労している子にしてみれば単なる見せつけにしかなっていない。

これからもそばで一緒に跳んでいれば、ときに「教えて」と寄ってくるくらいに慣れてもらえるのだろうか。それとも、ちゃんと後ろ盾がない限り、押しつけのままなのだろうか。

子どもたちが、なわとびを楽しみたいと思えるきっかけ・存在になってみたい。子どもたちにとってどういう形で関わればいいのか、改めて先生たちに聞いてみようか……。