とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

015 黒子のなわとび指導

今回は「それとない指導のこと」。

休み時間も含めて、子どもが一番跳んでいるのは2重跳びだ。

1、2年生が職員室からすこし離れた場所にいるので、普段目につくのは3年生以上。そのため、跳べない子はほとんどいない。たぶん、跳べない子は苦手意識があって進んでなわとびをしないので、結局跳べる子の姿だけが目に入る、というほうが正しいのかもしれない。

そんな中で、2重跳びを「跳べるけれど安定して跳べない」子が気になる。
腕が高かったり、着地位置がどんどんずれたりする子だ。

フォームが崩れているから、跳ぶタイミングが安定しない。そのため、連続回数が伸びない。伸び悩んでいるのを見ると声をかけてみるのだが、これがなかなかうまくいかない。

理由として、1つは単純に、強引なフォームに「慣れて」いるから変えづらい、というのがある。だが、それ以上に気をつかう点がある。

強引であっても、その子なりに身につけたものだということだ。

フォームが崩れたまま覚えたということは、おそらく、丁寧に教えてもらった経験はないのだろう。つまり、自分でなんとかしたのだ。強引でも、2重跳びの2回目が初めて足の下を抜けたとき、きっとその子はうれしかったと思う。さらに、自分の力でたどりついたことに誇りを持ったと思う。

そこへ「教える」のは、ある意味その子の身につけたものを否定することでもある。
実際、回数だけを見れば跳べているのだ。
――跳べているのに、それが違うっていうの?
そんな言葉が返ってくる想像をして、いったん考え直した。

以前(012 なわとび異邦人)にも書いたが、僕の立場は、各地になわとびの講師として出張しているかたがたとは違う。教える・教えてもらうという暗黙の了解などない、休み時間の1コマだ。そんななかでは、子どもに「教えられていると意識させずに上達させる」のがいいのかな、と思うようになった。

前置きが長くなったが、「それとない指導」のことである。
2重跳びのコツは、教えられるように繰り返し読んで覚えている。これを、押しつけがましくなく自然に受け入れてもらうにはどうするか。

とりあえず、今試せているのは2つ。

1つは、声をかけて、一定のタイミングをつかめるようにすること
これは長縄(集団での8の字跳び)で気づいた。あれはみんなでハイ、ハイ、と声を出して、テンポよく動けるようにしている。苦手な子も、あの声でタイミングが合っているときもあるだろう。

それと同じ。フォームはともかく、跳べているタイミングで手拍子したり声をかけたりする。回数を数えてもいいが、やる気が増すかプレッシャーになるか、良し悪しという気もする(笑)。これで連続跳びのタイミングをつかんでくれるとうれしい。

もう1つは、ひっかかったときだけ指摘すること。
「最後は手が高かったかなー」とか言ってみる。その子は最初から手が高いのだが、それを言ったら「1から直せ」になってしまう。でも、ひっかかったときだけは、言われた側も受け止め方が違ってくる。

ミスったそのとき、誰もが「理由という救い」が欲しいのだ。これは子どもだけじゃない。なわとびをする人は、きっとみんなそう思っている。こういうときだけは、否定なんかじゃなく、素直に自分のための言葉だと受け止めてもらえると思う。

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声をかけるとどうしても回数になってしまう……。しょうがない。2重跳びの回数は、この季節の子どものステータスだ。

ちなみに、強引に見えても、それでリズムをつかんで跳べてしまっている子もいる。体が柔らかい子どもならではの「無茶がきく」跳び方だ。そこまでいくと、強引なフォームでもそれなりに自信に満ちているので、アドバイスしづらい。なかなか手ごわいです(笑)。