とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

018 縄は背中で見せるもの

今回は「見本の見せ方のこと」。

気になる予告タイトルシリーズその2。その2にして最終回だけど(笑)。

1行目でわかったかもしれないが、技を教えるときの話である。何か「男の背中」的なものを期待したかた、ごめんなさい。

きっかけは「縄は背中で語るもの」という言葉だった。これは前回ちらっと紹介したなわとびパフォーマー・生山ヒジキさんが主に書いているブログの、ある日のタイトルだ。内容は後ろ4重跳び系の技を10連続で成功させた動画。世界が違う……。

さて、このタイトルを見たとき、ふと思い出したのが、以前なわとびを教えてくれた先生の姿だった。

今の学校とは違う小学校に勤務していたとき、その体育の先生は、なわとびシーズンの前に昼放課を使って講習会を開いていた。児童も職員も自由参加で、1日1技。前跳びから始まって、10日くらいかけて、かえしとびなどを教えてくれた。前回、「僕は「モンキーダンス」で教えてもらった」と書いたのは、このときのことだ。

その講習会で印象に残ったのが、背を向けて技を見せる先生の姿だった。

お手本となる人と向き合うイメージしかもっていなかった僕にとって、これが結構驚きだった。変わったことをされたから驚いたのではない。あまりにわかりやすかったから驚いたのだ。

技を覚えるとき、たいていは誰かのまねをする。このとき、どうしても技のイメージは正面からのものになる。自分が技を見せようとするとき、正面から見られている「理想の姿」に引きずられることもあるだろう。

このとき、ネックになるのが「左右の逆転」だ。

まねをしようとして、たまたま正面の見本の人と「向き合った状態で」左右が合っていればいい。しかし、逆だと、自分が相手に左右を合わせようとしてしまって、意識の一部を奪われてしまう。特に、かえしとびやモンキーダンスなどになると、ただでさえ手や足の位置関係がつかみづらいのに、左右が違うともうだめだ。

ところが、見本となる人が背を向ければ、体の向きがそろう
こうなると、とてもまねをしやすい。

これは、鏡の理屈と似ている。
鏡は左右が逆転するものとよく言われるが、実はすこし違う。以前、本で読んだのだが、鏡が映しているのは「前後が逆転した姿」なのだ。左右の逆転は、前後の逆転の結果であって、左右をどうにかしようとするなら、前後こそ重要になってくる

だから、見本は背を向けるとわかりやすい。
少なくとも、左右の混乱を回避できる分、見本に集中しやすいはずだ。

技にもよるが、それは技に合わせて正面で教えたり、横向きで教えたりするという「技にあった向き」でうまくいく。背中で見せるのは、そのやりかたの1つというわけだ。

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かえしとびを覚えたのも、モンキーダンスを覚えたのも、全部あのときだった。
数年おいて、なわとびにはまった今、またあの先生と一緒に働きたい。
今度は、あの先生の横で、一緒になわとびを教えられたらどんなに幸せだろう。

まずは自分1人でも、背中を見せて教えられる機会を作ってみたいなあ……。