今回は「子どもの気持ちのこと」。
放課に一緒になわとびをした子たちが、僕のことを日記に書いていたらしい。
それを知ったのは、この4月に他校へ転勤した先生の送別会の席だった。
お疲れさまでしたとビールをつぎに行ったら、なわとびの話になった。この先生のクラスの子が、結構なわとび台に来ていたからだ。
「とびまるさんに教えてもらったって、日記に書いてましたよ~」と言われて、たぶん僕は、一瞬固まったと思う。教えた覚えがなかったからだ。でも、あとになってよくよく考えると、たしかにすこしは言った覚えがあった。「交差が早い」とか、「手はもうすこし低めがいい」とか。
あれだけでも、「教えてもらった」と思ってもらえたんだ。
驚きだったし、報われたというより「救われた」という気持ちだった。
以前、012 なわとび異邦人や032 なわとびの神様で、自分の立ち位置に悩みつつ、結局縄好きの押しつけはいけないな、みたいなことを書いた。それもあって、必要以上に口は出さずにいたつもりだった。それでも、子どもは僕の言葉をアドバイスとして受け止めていてくれたのだ。
自分で言うのもなんだけど、僕は空気を読むのが得意じゃなくて、雰囲気をつかみきれずに固まることが多い。冬のあいだ、子どもと笑って跳んでいたけれど、内心、どう見られているのか不安でしょうがなかった。こだわりの強い人は、わからないことにすらこだわる。明確な答えがないとそこから抜け出せない。
だから、日記の話を聞いて、すこしだけ抜け出せた。「救われた」なんて思った。
(ちょっと重い言い回しになって申し訳ないです。学校で働いていると、同じように壁を作りやすい子の話を聞くし、職員でそういう子のことを情報共有する場もあるので、僕自身にもそういう傾向があることに気づかされるんです)
さて、話を戻して、そう思ってもらえてたんならうれしいなあ、みたいなことを言った僕に、その先生はのんびり笑って言ったのだった。
「じゃあ、コピーとって、とびまるさんにあげとけば良かったですねえ」
ほんとそのとおりだよ!(笑) ヒジキさんじゃないけど、そんなのもらえたら、きっとお宝だった。先生は毎日、30人以上の子の日記を見てるから、「ある子のうれしかったこと」くらいですぐに埋もれていっちゃうんだろうけど、接点の少ない事務さんにしたら貴重なメッセージだ。まして、自分の好きななわとびのことだったらなおさら。
実は同じ会で、別の学年の先生にもこんなことを言われた。
「○○くんと○○くんって子がね、あこがれてたよ。ほら、授業後になわとび台で遊んでた子。とびまるさんになわとび教えてもらいたがってた」
じゃあ言ってよ!(笑) やっぱり、本来の業務で接点が少ないとこうなるのかな……。前回に続いて、これもまた、ようやく知った現実かもしれない。でも今回は、十分幸せな一面だと思う。
今さらコピーはもらえないけど、大切な1枚がふところに舞い降りた、そんな日記でした。