とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

071 手が先か、足が先か(2)

■ 苦手なうちは回すのが先

今回は「タイミングのこと」。

なわとびは、回すことが優先なのか、跳ぶことが優先なのか?

前回書いたのは「跳ぶことが優先」で、理由として、安定したフォームで跳べるから、という話でした。

今回は「手が先」と言える場合。いったい、どんな場面でしょうか。


結論から言うと、技の覚え始めは手が先のほうがいいと思います。

わかりやすいのは、小さな子が交差とびやあやとびをするときです。

なんとか前とびが跳べてきた子でも、腕の交差が入ると、跳ぶのが早すぎて縄が足の下を通らなかったり、そもそも縄が背中側から前に行かなかったり、という姿をよく見ます。

こんな状態で跳ぶのが優先と言っても、跳べるはずがありません。
縄がまともに回っていないんですから……。

まずは、ちゃんと腕を交差して、足の前まで縄を下ろせるようになるのが先です。そうでなければ、跳ぶタイミングがつかめません。

なので、こういうときは、回すのが優先、手が先、というわけです。


実際、指導法ではこの順番が多いと思います。

交差とびやあやとびで段階を踏んで練習していく中で、順番としては手の練習のほうが先になっていますよね。

たいていの技は両足で跳びます。つまり、技を覚えるときに、そんなに足の練習はいらないわけです。レッグオーバーが入ると、結構変わってきますが、それでも、足で踏み切ること自体は基本的な動作なので、やはり覚え始めは手が先なんです。

手が先、つまり、ちゃんと足まで縄を回せるようにならないと、跳んでもむちゃくちゃになる、くらい言ってしまってもいいんじゃないでしょうか。


やっぱり、なわとびって、「跳べてこそ」だと思うんです。

縄が回ってくれば、最初は不格好でも縄を跳び越せます。だんだんと、どこで跳べばいいのか、タイミングもつかめてきます。そのタイミングを作り出しているのは、縄を回す技術の上達です。

イラスト:交差とびに挑戦する男の子。交差を作る、交差を跳ぶ、跳べた笑顔、の順に、囲った枠をすこし重ねるように描かれている。余白に重なる枠の模様。

交差なら、まず回せるように

そこまで来たら、今度は「足が先」を思い出して、ちゃんとジャンプする。いったん、跳ぶこと優先に切り替わりますが、そのころには、ジャンプに合わせて縄をコントロールできるようになっているでしょう。

なわとびの練習のステップは、手から足に流れていくのかもしれません。


去年のなわとびシーズンに、僕はときどき言いました。

「あやとびを覚えるには、跳ばないことだよ」

なかなかエラそうなことを言ってますが、解説動画などのおかげで、あのころから「手が先」というイメージを持てていました。

問題は、子どもや先生に、なわとびなのに跳ばないなんて、とばかりに「は?」という顔をされたこと(笑)。

今年はクラブもあるし、「手が先」の大切さをしっかり伝えたいと思います。