とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

162 中途半端にしか跳べない理由

今回は「中途半端のこと」。

なわとびが上達しない理由に、「中途半端なままだから」というのがあると思います。

とりあえず跳べているので、「跳べた」と思ってしまっている。

でも、その「跳べた」って、本当に「跳べた」でしょうか?


「縄が通る」と「跳べる」は、だいぶ違います。

「縄が通る」は、とにかく足の下を縄が通過して、形だけでも1回跳べたという状態。一方、「跳べる」はそれなりに余裕で跳べる状態。僕はこんなイメージです。

最初に中途半端なままだから上達しないと書きました。では、その中途半端はどこから来るかと言えば、「縄が通った」を「跳べた」と思ってしまっているからではないでしょうか。

そこそこ満足してしまって、できたと思ってしまう。縄が通ったくらいだと、まだフォームも危なっかしいのに、その後も、不安定なフォームで跳んでしまう。少なくとも、その跳び方なら(本人は)跳べるからです。


僕自身、よくある話です。

特に、撮影してみるとよくわかります。2年前、初めて自分の跳ぶ姿を撮影して動画で見たときは、ものすごくショックでした。跳べていたと思った技が、予想外に苦しそうな姿勢で跳んでいる姿がはっきり映っていました。

それからは、力を入れないと無理とか、着地の音が大きいとか、撮影しなくても「あ、これ、まだちゃんと跳べてないな」と状況でわかるようになってきました。

前回公開した動画も、ブログで苦しそうと書きましたが、動画で見なくても跳んでいる段階でわかっていることです(笑)。フロアだから、着地の音の激しさがはっきり出ますし、縄が張ってない瞬間は常に手元の感触でわかりますしね。

逆に、空中の姿勢とか、手の位置とか、跳んでいる瞬間に余裕を持って感じられない部分は、動画にして明確になることが多いです。

そのわりに、中途半端から抜け出せないのが現状です。


答えが見つからないからです。

どういうときにうまく跳べるかがわからない、という意味です。一番困るのは、「この跳び方で本当に跳べるようになるのか」がわからないまま練習することですね。

ある姿勢で30回くらい挑戦すれば1回は跳べるようになる、というなら乗り気でやります(笑)。でも、練習と成果がそんなにはっきりすることなんてなくて、10回くらい繰り返して、この跳び方じゃダメかなと思うのが普通です。20回、30回と繰り返せば跳べるようになるかもしれません。でも、そんな保証はありません。わからなくてさまよいます。

そうやって繰り返すことで見えてくるものもあります。まったく同じ跳び方で練習することはなくて、必ず微調整して、確認しながら繰り返しているはずです。

僕の場合、これが基本1人でやっていることなので、調整の方向性が見えてなくて、なかなか洗練されないんですが……。

感覚的なセンス(回すタイミングや空中バランス)、身体上の問題(体幹のズレや再び腰を痛めるのが怖い)など、方向性が見えたとしても他に気にする点もあって、なかなか中途半端から上達につなげるのは難しいです。

一般的な話のつもりで書きはじめたのが、結局自分の話になってしまいました。

f:id:tobimaru-jdr:20160115221926j:plain

中途半端の壁は厚くて高いですが、楽しさだけは忘れずに跳びたいですね。