今回は「回し方のこと」。
以前、「手が先か、足が先か」という記事を書きました。
070 手が先か、足が先か(1)
071 手が先か、足が先か(2)
基本は「足が先」でジャンプに合わせて縄を回す。でも、始めのころは回す技術があまりないので「手が先」で身につけたほうがいい。
こんなことを書きました。
最近、「手が先」に「戻る」必要があると思ってます。
一言で言えば、「なわとびは回し方で決まる」からです。
跳べるようになってくると、ジャンプはそこまで上達できません。跳び方にもいろいろとコツがあるとは思いますが、たくさんある技での手と足の動きを比べると、圧倒的に多いのは手の動きです。特に、ちゃんと縄を通そうとすると、足の技術(ジャンプ力、足を上げる角度など)ではできることに限りがあります。
となると、回す技術をもっと高めないといけません。
跳べたように思えても安定しない。これはどこかに問題があるわけで、おそらくは回す技術が未完成だからです。足の技術も、どれくらい回せるかを基準にして、跳ぶ高さや足を上げる角度を考えると思います。
最初はとにかく回し方を覚えますが、縄が通るようになってきて、次に安定感を求めるとしたら、やっぱり回し方に戻る=「手が先」で考えるのではないでしょうか。
そんなことを考えていたら、過去に書いたことが、「足が先」で結論、みたいになっていたので、補足したくなってこんな話を書きました。
というのも、僕自身、そこがかなりの課題だからです。
うまく回せないとよく書くのですが、「足が先」で合わせていた部分も大きいのかな……と思いました。跳び方に慣れてきたら、そこに縄が通るように回す、というやりかた。
これ、強引な連鎖の始まりです。
一見、回し方を考えているようですが、足の技術に左右されていて、どこかにムリがきます。回す技術そのものが上達して跳べるのではなく、跳ぶために小細工をした回し方が生まれている状態です。それで体勢が崩れたり、手にばかり集中力がいって他の動きがおろそかになったりという負の連鎖になりかねません。
このまえ、163 ゼータの誘惑で、回せないからムリに高く跳ぼうとして足がくの字になると書きました。その逆ですね。多少技術が身についても、同じようなことは起こるのです。
じゃあ、どうすればきれいに速く回せるかというと、そこがわからないのが困ったところ。香港の大会上位選手は、きれいで速いという印象があるので、改めて動画を見ています。
回すのが速すぎて細かいところまでは描ききれません。力の入れぐあいとか、想像すらあいまいで絵にならない部分もあります。自分では実感できないことを描くって難しいですね。
こう考えていたときに、1月の児童館のなわとびクラブがありました。
児童館に行く日は、別の時間に他のかたと練習をしています。全日本大会にも堂々と出られる腕の人たちです。
回し方が上手です。ちゃんと跳べるように回し方を覚えた人たちだからだと思います。
人前で演技をする自信がなくなった。
そもそも演技の技自体が不確実で自信がない。
事実ですし、事実を借りた弱音でもあります。回す技術があれば、跳べていれば、こうは思わなかったでしょうか。
それを確かめるには、「手が先」で見直す必要があるのかな、と思います。