今回は「練習と運動のこと」。
最近自分の中でもやもやしていることがあって……。
普段なわとびしてるのをブログでは「練習」と書いてます。これって、ほんとに練習なのかと。
いろんな技に挑戦してみたり、演技を通しでやってみたり、ぱっと見、練習以外の何ものでもないんですが、どうも練習という実感がわかないんですね。ただ跳んでいるだけというか、目的が見えないんです。
練習というからには、積み重ねた先に本番があって、目的があるなら本番がそれに当たると思うんです。
でも、今の自分には、本番に当たるものがあまりなくて、このあいだのクラブ発表のおまけのビデオとか、夏祭りの職員の出し物くらいです。とはいえ、それもそんなに自信があるわけではありません。目的に向かって突き進んでいる、という感じではないです。
目的がないと、意外と跳び方が「ゆるく」なります。
跳ぶときの力とか勢いが足りないというのか……。やっぱり、気持ちのどこかに「目的もなくなんとなく」的なものがあるのか、思いきって跳べてないんですね。
ゆるく跳ぶのが悪いとは思いません。
がんがん力を入れるよりは、7、8割の力で跳べたほうが安定するとよく聞きます。でも、僕にはそこまでの余裕はなくて、やっぱり思いきって跳ばないと縄が通らないことが多いです。どれくらい力をセーブして跳べばいいのかを試して、ゆるく跳ぶのなら、まだいいんですが、そうじゃなくてただゆるいのでは、力が抜けているだけです。
それじゃ練習じゃなくて、ただの運動じゃないの?
そんなことをふと思って、練習と呼べるのか、と書きだしました。
ムリに言葉にこだわりたいわけではないんですが、練習と思って跳んでいるかどうかって、上で書いた跳び方のゆるさとか、けっこう影響があります。
そこから、しっかりジャンプできていなかったことに気づけたり、技の前に短く構える余裕を意識できたりします。ただ曲に合わせて演技を試しているだけの状態とは、気持ちの向け方が違ってきます。
たかが言葉、されど言葉だな、と感じました。
「練習」じゃなくて「ただの運動」でもいいな、と思うこともあります。
ただの運動が単縄って、けっこうすごいと思いませんか?
休みのジョギングやダンスと同じような運動として、単縄が跳ばれているってことですよ。
大会やパフォーマンスにつながるから単縄をやっている、という人のほうが多いような気がしますが、そうした特別な目的とは別に、1つのスポーツとして、趣味で単縄が跳ばれるって、それはそれでなわとびの広まりだと思います。
スポーツチャンバラとかスポーツ吹き矢とか、名前が知られてくるとニュースポーツと呼ばれて、地味に流行してくるものがありますよね。
単縄がごく普通に運動として跳ばれるのは、ニュースポーツとして「こんなスポーツもあるよ!」と、いろんな人の選択肢を1つ増やせる話でもあるんじゃないでしょうか。
学校とか児童館とか、単縄を知らない人にアプローチする場はあるものの、僕にとってのなわとびは、ほとんどが個人的な趣味で終わるかもしれません。
ただ、もし、いつか、単縄が流行してきたら、自分みたいに跳んでた人がいたことが、楽しさの証明みたいに思ってもらえたらいいですね。
過去形にならないうちに、そうなるといいんですけど(笑)。