とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

227 続けてきたもの

今回は「ブログのこと」。

実は、今回でブログを終わりにするつもりでした。

数か月前に、ちょうど200でこれからどうしようなんて話を書いて以来、ぼんやりと終えるタイミングを考えていて、このまえ公園で練習しているときに、「そろそろやめてもいいかな」と思ったんです。

わりと自然にそう思えたので、ちょうどいいタイミングだと思って、実際にブログ終了のお知らせまで書きました。見てのとおり、それは公開せずに、ひとまず今回もブログは続けているんですが……。


意味があるのかな、とは思いました。

なわとびを積極的に広めたいわけでもなく、ブログを足がかりにして活躍したいわけでもなく、ほとんど自己満足のようになってます。そんな状態でブログやイラストに時間をかける意味があるのかと思うようになりました。

実のところ、あまり意味はありません。

ブログを続けるうちに、1回の分量(文字数)とか更新ペースができあがってきて、思いついたことをそのルールに乗せている感じになっていました。よく見たら、9月に入ってからは、2か月半のあいだ、きっちり5日ペースで書いてました。あまりにブレてなくて、自分でも驚きです。

もうそこまで行くと、ほとんどノルマというか、仕事でもないのに何がノルマだみたいな感覚になってきます。基礎を鍛えるために毎日前とび100回とか、そういう目的のあるノルマじゃなくて、ただ消化するだけのノルマです。

何が大事か選び取れずに書いているだけなら、もうやめてしまってもいいなと思ったのでした。


ただ、一度に手放すのは抵抗がありました。

もう、思ったことがあっても語れる場所がない。一番意味があったとすれば、なわとびで思ったことを自由に言えたことです。それがなくなる。

ブログを続けてきて、そこだけは想像すると不安がありました。思ったことがあっても、ひとりで思っているだけ。いずれむなしさに気づきます。つまりはなわとびする意欲がなくなります。

そのほうがつらいと思ったので、とりあえずは続けることにします。

あまり時間はかけず、書ける部分だけ書く。上で書いた「選び取る」ことを意識したことができれば……。これは、なわとびの演技でも同じですね。演技でも、ブログでも、結局ひっかかるところは同じでした。


なわとびを続けられたのは、ブログがあったからかもしれません。

意味は小さくても、とりあえず何か書いていれば、なわとびに関わり続けている気持ちになれたのかもしれません。大会で競い合える仲間とか、動画だけでも見てくれる人とか、そういう人がいるから続けていられるという人もいると思います。

僕はそれがブログでした。今は知り合えた人や学校や児童館がありますが、常に続けていたブログの存在は、ある意味依存するほど大きかったんでしょうね。

ただ、一度はやめようと終了のお知らせまで書いた話です。とりあえず続けてみて、どうにも気持ちが乗らなければ、やっぱりそのときはおしまいにしようと思います。

読んでいる人にまで気持ちを背負わせてしまうような話ですみません。それではまた次回で……。

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