とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

299 もし単縄が学校の授業だったら

今回は「空想のこと」。

もし……と考えてみました。

ぶっちゃけた話、「子どものころに授業でやっていれば上手に跳べたかもしれない」という、都合がいいにもほどがある空想です(笑)。

なわとび(短いほうの短縄)は、授業ではマット運動とかボール競技のように5時間も6時間もかけてやるものではありません。3~4時間もやればいいほう。あとは準備運動の延長のようにやって、メインは他の運動になります。

実際は、なわとびカードみたいにもっと上をめざしたくなるものがあるので練習してしまいますが、だいたいは2重とびやはやぶさの回数ばかり追います。授業としてはそんなに難しい技はやりません。

じゃあ、そんなに難しい技を授業でやる世界ならどうだったのか?というお話。


もっと早く、苦手なところを克服できたかもしれません。

運動の感覚は小学生のころまでにほぼ決まってしまうと聞きます。大人になるほど覚えが悪くなる ―― というのが通説だとか。

なわとび( Single Rope の単縄)は足の下に手を入れるとか、さらにそれを多回旋でやるとか、さらにそれらを組み合わせて連続で跳ぶとか、判断力やバランスがこれでもかと要求されます。

僕は、サイドスイングからの素早い入りかたとか、きれいなリリースとか、5年以上やってもさっぱりな部分が多いので、こういうところを「子どものときに」授業で教えてもらえれば、もっと飲み込みが良かったのかなと思います。

授業で必須の運動になっているなら、世の中に単縄の教え方情報がたくさん転がっているはず。教えてもらえる機会が限られている今より、もっと恵まれていたにちがいありません。

f:id:tobimaru-jdr:20171118230326j:plain

でも、待てよと思うことがあって――。


これは、先生にそういう力があるという前提の話です。

実際はそんなに時間をかけて見られないし、先生は一番苦手な子に付きっきりになることが多いです。僕より跳べる子は多かったものの、跳べない子だって何人もいました。大人になっても、へたなりに縄が通るくらいの技術があった自分に、はたして先生は時間をかけてくれたでしょうか。

その一方でうまい子はどんどん伸びます。

できる子は先生に教わらなくても、ヒントをつかんだら次のステップに進んでしまいます。いわゆる「スポーツ万能」で、走るにしても、ボールを投げるにしても、なんでもできてしまう子っていませんでしたか? うまくいく動きをつかみとるのが上手なのでしょう。

そういう子が何人かいて、あっさりTJを跳んでいる様子が浮かびます。

それを見たら自分はどう変化したでしょう。負けずに練習してTJが跳べたと思ったら、すぐ近くに、もっときれいに跳べて、TJ4重まで跳んでるような子がいる学級――。

センスのある子に突き放されて、これくらいでいいやと区切りをつけたと思います。大人になって自在に跳べるほどには単縄を身につけないまま……。

届かない差と、そこからのあきらめは、現実と変わらずに起こることでしょう。

単縄が授業に! と最初は特別に思えますが、逆に単縄が普通だからこそ、自分は一定のライン以上には行けない。TJが跳べたくらいでは、「どこにでもいたなわとび好き」程度にしか、なれない世界なのです。


やっぱり空想ですね。

今よりはうまくなれた世界なのかもしれませんが、みんなが同じ環境で跳んで、今よりうまく跳べる人がわんさか出てくる世界です。

「単縄? 小学生のときやったことあるわ!」
「なにそれ! そんな技もあるの? やってみよ!」
「おぉい、なんかできそうなんだけど!(笑)」
「……それレベル5……」

ちょっと運動神経のある人なら一般人がレベル5や6を跳んでいるのも珍しくないのでしょう。なんという世界(笑)。

今の人たちは、ただ単縄を知らないだけです。広まってしまえば、ちょっと跳べるだけの優位性はなくなる。

自分のような立ち位置のなわとび好きにとって、単縄が広まるのはリスクでもあるんだなと思いました。先行者として、違う立場を手に入れるチャンスもまた、あるのかもしれませんが……。

単縄が珍しいからこそ、続けてこれたのかもしれません。