今回は「伝え方のこと」。
ガクチカって知ってますか?
「学生時代に力を入れたこと」の略称だそうです。
それ、略すのか……。就職活動でよく聞かれる質問ですね。略すと、関係者だけのキーワードみたいで、「ガクチカ聞かれたらどうする?」なんて使えておもしろいです。
僕は就職氷河期と言われたころに就職活動をして、就職活動に重苦しいイメージがあります。「学生時代に~」を別の言い方にするなら、「努力証明書」みたいなすこし皮肉も入ったような通称が浮かびます。
それを考えれば、ガクチカと気軽に略せる就活生はポジティブだなと思います。言ってることがもうおじさんですね(笑)。
ですが、ガクチカという言葉にはこういう一面もあります。
で、今までたくさんの就活生に会ってきましたが、この「ガクチカ」っていう言葉を使っていた多くの人がうまくいってないんですよね。 なぜ彼らの就活はうまくいかなかったのか。その理由は、「自分の世界の当たり前が、社会にとっての当たり前だと思ってしまっている」ところにあるのだと思います。 (強調部分は原文のまま)
極端な話、面接試験で「私のガクチカは~~」と当たり前のように口にする人は失敗するという話でしょう。
なわとびでもありがちです。
・ビデオに撮ってみたら思ったより跳べてなかった
・珍しい技を教えても跳べなければ喜んでもらえない
・難しい技を跳んでも何やってるかわからなくて反応が小さい
子どもに教えるときにもよく感じます。
なわとびは実演ができてしまうので、見せて感覚でものを言ってしまいがちです。これも極端な話、教える側の頭の中には技のイメージができているので、何も前置きせずに「こういうの、こういうの」と説明だけ進めてしまうような状況 ―― といえるでしょうか。
「今からこういうことをします」「え、なにそれ?」
このやりとりがスタートにあるかないかでも違うでしょう。「何が始まるのか」というスタート時点で、わくわく感を持たせるのか、もやもや感を持たせるのかでは、受ける印象は違います。
わからなくても雰囲気を作ってくれてる! と思うのが前者。
何が言いたいのかわからない、説明がへた、と思うのが後者。
ひきだしが整理できてないからだとよく思います。
出せるものが限られていて、相手の反応が浮かなくても、もうそれで進めるしかない。次の一手がないのです。
指導に限った話じゃなくて、普段の会話でも、こういうことが多いです。説明不足なまま、頭にある情報をバーッと言ってしまう。指導がへたというより、コミュニケーションがへたなんですね……。
苦手な子がどういう状況かイメージできるようになりたいです。
経験を積んだ自分と、未経験の子の感覚は違って当然なのに、自分の感覚ばかりでものを言ってしまうようでは、たとえ正論でも暴論です。ブログでいろいろ書いたり、実際に跳ぶ子どもを何十人も見てきたので、数年前よりは言葉として出せるようにはなったと思いますが……。
やることを伝えようとして、やりたいことで返されるの図(笑)。