今回は「マイナーのこと」。
たまに単縄のことを考えると、どこかでマイナーというキーワードが浮かびます。
「珍しいから価値がある」
今まで何度か、これがよりどころだったと書きました。僕が単縄人としてはそんなに上手じゃなくても、学校などで話題にしてもらえたのはまさにこれですね。
単縄をやる人が増えて、僕より上手な人や、スポットを当てやすい子どものほうが「珍しい中でも上位」になったものの、少なくとも僕のまわりで単縄をやっている人を見たことがありません。
近辺の小学校くらいなら、まだ僕の腕でも声がかかる可能性はあります。実際に呼んでほしいわけではないのですが、「○○市周辺で単縄をやっている人」は、たぶん自分だけ。知られていればとりあえずスポットが当たりそうな……。
それくらいにはマイナーなのです。
ちなみにこの話、調査の仕方とかおもしろい内容でした。
単縄も、訪れた小学校やイベント会場にポイントを打って、複数回なら色が濃くなるように(RGBの比率を回数に応じて増減させるとか)すれば、「未開発」地域が見てとれますね。
一方で、マイナーだと厳しいこともあります。
上のようにマイナーさは「ウリ」になるのですが、「情報が少ない」のが厳しさですね。
単縄も、動画や団体はあるにしても、細かい動きなどは直接教えてもらう機会がないとなかなか解決しません。情報が多ければ、そういう部分ももうすこしネットなどで見ることができて、自己解決することもあるでしょう。
僕がブログを始めたのも、「自分ならこういう話をネットで読みたいな」と思ったからです。需要がないのか、同じように発信してる人はあまり見ませんが……。
交流に加わって直接情報を得ている人もいれば、ビジネスとして発信しているかたもいるので、全部が全部ラクに手に入るわけではありません。むしろ、マイナーならマイナーどうしで集まることが多いので、そうでない形で技術情報を欲しい、というほうがわがままなのかもしれません(笑)。
時間がたてば、「自分も何か書いてみたい」という人が増えるでしょうか。
そういう人が、今は練習会や有料で得られる話をごく普通に書く時期が来るかもしれない ―― とも思います。
ネットでイラスト講座をながめていると感じるのですが、昔なら本や絵画教室で有料だったものを、いろんな人がフリー公開しています。広まったことで価値が薄れたのでしょう。
単縄も、「マイナーな今だからこそ価値がある情報」があって、いつかは普通にいろんな人が見られるようになるのかもしれませんね。そのときは、すでにマイナーじゃないのかもしれません(笑)。
もちろん個別指導など、価値の薄れないものもあります。いずれはそういうものだけ残るのか、それすらVRみたいなシステムで今より手軽になるのか……。
とりあえず、それは今ではありません。
単縄がすこしずつ広がってきた今は、「踏み出した人が何かを得られる」色合いが強い時期かなと思います。待っているだけの人を掘り起こさなくてもメンバーはそろってきた、というのか……。
マイナーがこういう絵だとしたら、どう感じるでしょうか。
僕は、ここから何かを広げていける存在には、ちょっとなれません。マイナーであることを、楽しんでいるのかもしれません。
長々と書きましたが、マイナーがマイナーでなくなっても、僕はすこし距離を置いて、変わらず跳んでいるのではないかと思います。