今回は「バラエティのこと」。
「ハッピーターン」というお菓子の記事がありました。
(2022.5.9 リンクを修正)
ハッピーターンの粉は、それだけで「あれだ」とわかる有名な粉です。あの粉はわざと量が均一にならないように(違いを作って飽きないように)している話をどこかで聞いたことがありましたが、なるほど、包み紙も一役買っていたわけですね。
そういえば「キャベツ太郎」なんかも、ソース(?)の量が違うような……。あれは表面に固まってついているので、包まなくてもソースが落ちず、ソースの量の違いを楽しめます。
そんなわけで、キーワードは「わざと違いを作る」です。
なわとびでこれを考えると、簡単なようで難しいです。
何が簡単かと言えば、ちょっと変化をつけるだけ。
何が難しいかと言えば、それでいくつバリエーションを作ることができるのか。
いろんな動画を見ていると、どこかで飽きがきます。
あの人もこの人も同じ技をやっている。うまい人ほど感服して飽きづらいですが、経済学などで言う効用曲線のように、同じものではだんだん満足度が落ちていくのです。
ただ、これも見かたしだいで、同じ技でも「そこに何を見つけるか」で印象ががらりと変わります。縄の長さ、姿勢のとりかた、音への合わせかた、カメラのアングル……。うまいへたでも、じゃあ何がいけないのかを考えたり、自分はどうなの? と自問したり、1つの技からどれだけの話がわきだすかわかりません。
むりやりさばくってるだけ、といえばそれまでですが、違いがあるからこそ上手な技はきわ立ちますし、あまり見ないやりかたも目立ちます。
自分で跳ぶときに「違いを作る」のは、練習だったり工夫だったりします。
跳べない技を練習しているときは、違いを作らないと上達できません。跳べないときの状況を繰り返しても当然跳べないわけで、どうやったら跳べるのか試すためにも、すこしずつ回し方やタイミングが変わります。
跳べた技でも、もっとラクに跳べるように微調整してみるのも、違いを作っていると言えますね。
それでも飽きるときは飽きます。もし人に見せる技なら、ありきたりでつまらないんじゃないかと思うときもあります。
それで以前、たとえば2重とびでどんな変化をつけられるか、やってみたことがあります。なわとびじゃんけんを2重とびで、とか、2重とびからキメられるポーズは何があるか、とか……。
何かに生かせたわけでもないのですが、そういうのを試しているときこそ、飽きもこなくて楽しめる時間なんでしょうね。
1コマの中でわやわややってるマンガが好きです。こういう、ネタにネタをかぶせていくのも、違い・変化のおもしろさ。