■ 言葉の先を想像しよう
今回は「声かけのこと」。
なわとびの解説サイトってこんなにあるのか……。
動画も含めて、いろんな人が解説を作っています。それだけヒントを求めている人が多いのか、それを見こして解説を作っているのか……。
教えてもらいたい人は、「これでできる!」というアドバイスを探して、いろんな解説サイトを探し回っていると思います。
でも、思ったより双方がマッチすることはないと思います。
なぜかといえば、教えてもらいたい側と教える側が人それぞれだから。
たとえば、前回書いた「手首とわき」は、なわとびでも広く伝わっているポイントです。とりあえずこれを言っておけば大丈夫、みたいになってます。
これでうまくいく人もいれば、変わらない人もいます。
回しにくさとの調整ができる子。
上手に跳べている人をマネできる子。
手首とわきは程度の問題なので、回しやすさを失わない程度に取り入れることができるなら、「手首とわき」という言葉だけで通じるでしょう。
でも、そんなふうにできる子ばかりではありません。
手首とわきの調整は、縄をコントロールできるようになってきた子が、コンパクトに洗練された動きに高めていくための技術です。そのレベルにたどついていない子がマネすれば、まず失敗します。そこに気づかず、「手首とわき」を前のめりになって教えたらどうなるでしょう。
できないのは自分に才能がないからだと自分を追いつめてしまう子。
おかしいと思いつつ、アドバイスを信じて疑わない子。
言葉1つが、成功にも失敗にも導いてしまいます。
なわとびを教えるときの言葉は、問題と解決がうまくかみあったときだけ輝く。
子どもに教えてきた中で、何度も感じました。できそうな子のポイントを見つけて後押しできたときが、まさにそうです。(うまくいかずに、言葉が地に落ちた記憶のほうが多いんですが……)
直接教えてこれなのです。問題を見極めるだけでも経験がいりますし、的確なアドバイスをするにはさらに経験がいります。その子に届いて、なわとびが改善するストレートの直球なんて、考えて経験して、やっと投げられるのです。
ブログもそう。ほとんど反応がわからないうえに、自分の実力に自信がないのもあって、ずっと「だれかのヒントになれば」という言葉を付け足してきました。逃げですが、付け足さずにはいられませんでした。
ただし、教える言葉には、どこかに善意があります。
そこは、無視してはいけません。問題は、善意が善意で終わってしまうことです。だれかのために、という気持ちがあるなら、うまくいかない可能性も考えないといけません。
その可能性を考えている人は、できない子へのフォローが上手。学校で言えば、雰囲気のいい先生の言葉には、できる子もできない子もついてきます。それは、できない子にミラクルを起こすような言葉ではないかもしれません。でも、できない子が捨てられることもないはずです。
何を教えるかというより、教えたら何が起こるかを想像することも大切なのでしょう。