とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

371 手が先か、縄が先か

今回は「回し方のこと」。

回っている縄を、手はじゃましてはいけない。

最近思ったことです。回し方に失敗するのにもいろいろパターンはありますが、こういう形で失敗した回数は、数えきれないと思います。

よくあるのが多回旋。

1か月ほど前に、363 力みとその結果に気づきたいという話を書きました。速く回そうとして余計に手が動いてしまう。その結果、縄の軌道がずれて引っかかる。

縄と手が連動しないのは、なわとびでは重大なネックです。


そこでタイトルの「手が先か、縄が先か」。

当然、「手が先」なのです。

手が動かないことには縄は動かせない。そこは当然です。ちょっと複雑な交差になれば、手が動かなければ縄の形もできない。なので、手が先にあるのはたしかです。

ただ、回りはじめた縄にどれだけ力を加えていくのか、となったときに、手が動きすぎると縄の軌道がおかしくなります。たとえば、

・縄が頭上に来るか来ないかのうちにいきなり振り下ろしてしまう
 (なわとびを始めたばかりの子とか、交差のタイミングがわからない子とか)

・縄が回りきらないうちに手を引いて引っかかってしまう
 (2重とび(前も後ろも)で最後に力を入れすぎるときとか)

・EBの入る多回旋で手を大きく動かしすぎて縄がそれて足に当たってしまう
 (これは自分です……)

手が縄の動きを(文字通り)握っているものの、タイミングによっては縄が先行して、手はどう判断するのか、という局面にもなるわけですね。

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言ってみれば、なわとびには「手と縄の協応」もあるのです。


協応というと手と足がクローズアップされやすいです。

全身運動としてなわとびを見た場合、動きを大きく2つに分けると手と足になるのでしょう。僕もこのブログで、「手が先か、足が先か」の話をいくつか書きました。さらには頭、足、腕、手首の話まで……。

回し方についてはいくつも書きましたが、「いかに手を動かすか」ばかりで、縄のとらえかたと連動した話は少なかったように思います。

それは、僕が縄をとらえた回し方ができていないことの裏返しで、ここで言葉にして書けないから話も少なかったわけですが、「これはダメ」という部分なら、まだ書けそうです。

「回っているのに余計に力を入れない」「回っていないのに強引に力を入れない」のような部分に気をつけること。それが、縄のとらえかたの「外堀」だけでもうめる言葉、大きなイメージかなと思います。

インパクトの瞬間を追い続けられなければ、力は余計な伝わり方しかしないのでしょう。