今回は「きっかけのこと」。
たとえばそれが、なわとびのトップ選手で、置き忘れたのが縄だったら。
『ミッテランの帽子』というフランスの小説があるそうで、このまえ、新聞の書評欄で見かけました。
たまたまレストランに現れた大統領が置き忘れた帽子を、そのままくすねてしまった男が主人公です。その帽子を手に入れてから、不思議と自信がついて、上司相手でも大胆にしゃべれるようになり、やがて持ち主を変えながら、その帽子を手にした人は人生が好転して……。
そんなあらすじと書評を読みながら、「なわとびだったら」と想像しました。
トップ選手なら、いい縄をつかっているに違いない。
主人公には、少なからずそういう気持ちがわくと思います。帽子と縄では、そこが違ってきます。大統領は、その帽子をかぶっているから大統領になれたわけではありません。帽子の選び方1つにも大統領になるにふさわしい判断力があるのかもしれませんが、影響はほんのわずかでしょう。
でも、縄は違います。
数々の技を成功させるためにその縄を選んだ何かがきっとあります。縄の材質、長さ、重さ、グリップの種類……。その縄1本でトップ選手としてのすべてが決まるわけではないにしても、帽子よりははるかに「跳べそう」な気持ちになるに違いありません。
行動を起こしたことが主人公たちを変えたのだろうと、書評では書かれていました。
商談にしてもなわとびにしても、言葉を撃ち出す勇気や、技を支える技術がなければ成功はありません。その瞬間に挑もうとするまでの道のりや壁が、ただ挑戦するだけなのに長く、高いものなのは、誰しも経験があるのではないでしょうか。
雲の上の人のものだから。
あるいは、それを手にしたという偶然。
突き動かすきっかけがあれば、人は一歩踏み出せる ―― そんな寓話です。
書評ではふれていませんでしたが、プラシーボ効果という言葉があります。
偽薬効果ともいって、薬でないものでも本人が信じこんで薬同様の改善が起こってしまうこと、らしいです。
この効果自体、どれだけ信じられるものかはわかりません。偽薬を与えた時点がたまたま治りかけだった……とか、偶然が背景にあることだってあるでしょうし。
大統領の帽子も、トップ選手の縄も、これに似ていて、決定的な効果とは言えません。むしろ、帽子や縄によって、本人が本来持っていた力が引き出された、それこそが決定的な効果だったと言えるのではないでしょうか。
なわとびで、意図的にこれができたらいいでしょうね。
自主練ならきっかけを作ること。指導ならきっかけを与えること。
ただし、今回の話だけで言えば、変化を作るだけでは足りません。大統領の帽子をかぶった主人公は、それで自信がつきました。「自信につながる」きっかけこそ、欲しいものです。
自分に対してだと、うまく自分をだますような、偶然だのみの話になりやすいので、帽子を落としていくのは、相手のある指導の場面でこそできる話なのかもしれません。