■ 跳べなかったあの子のために
今回は「学校のこと」。
先日、今までいた学校の退任式があって、お別れをしてきました。
この学校に赴任したのは、単縄を始めたころとほぼ同じ。単縄を身につけながら、学校でも活かしていけたら …… と、事務の仕事をしながら、なわとびで子どもとつながりを持ち続けた6年間でした。
退任式で、なわとびをいっしょに跳ぶことの多かった学年の子からメッセージと花束をもらいました。メッセージはもちろん、なわとびのことばかり。
「いっしょに跳んだあの子がメッセージを書いてくれていたらいいな」と思っていた子の名前が、紙をめくるたびに現れて、ほっとしました。自分の中に、なわとびで関わった子たちの名前といっしょに幕を下ろせたら …… という気持ちがあったからです。
ただ、1人だけ、名前がなかなか現れません。
その子は、ずっと2重とびが跳べませんでした。
前とびは、そんなに苦手には見えません。でも、2重とびになると、縄が速く回らず、どうしても跳びきれないのです。
高く跳ぶ、足の前で力を入れる、声に合わせる、2回手を叩く、束ねて片手で回す……休み時間に出会うたびに、いろんなことを毎回試しました。
319 のんびり回しの正体? は、その子を見続けて、書いた話です。
これを書いたときに、なわとびパフォーマーで指導者でもあるふっくんが Twitterで、「自分もこのタイプに教えるのが一番難しいと感じてます」と書かれていました。
プロでも難しいのか …… と仕方なさを覚えた反面、それで終わったらあの子が救われないと思って、それからも考え続けました。直接教えてあげる時間があるのだから、いつかは、と思いながら、2回、冬が過ぎていきました。2重とびは、一度も跳べませんでした。
その子のメッセージは、ずっと待っていたように、一番最後にありました。
○年生になったけど、まだなわとびは上手にできません。
いろんな子の、跳べるようになりました、教えてくれてありがとう、という思い出のメッセージが並ぶ中で、その子は素直にそう書いていました。それでも、一番がんばったのは2重とびで、上達したと思っているし、教えてもらえてうれしかったと、紙いっぱいに書かれていました……。
跳ばせてあげられなかった
その子の気持ちを受け止めながら、違う意味で終わりを実感しました。2重とび1回の壁。区切りのつかないまま終わったあの子との時間に、別れだけが静かに幕を下ろすようでした。
なわとびで関わった子たち、1人1人に、お別れとお礼を言いたかったです。
なわとびを続けてこられたのは、学校で関われる子たちがいたから。直接伝えたかったのですが、子どもたちは式を終えてすぐに下校。話す時間すらほとんどありませんでした。退任式の見送りのとき、最後に何人も顔を見られたことが幸いでした。
学校を去って、練習を再開しました。
退任式までは、ケガするとまずいと思って、思いきった練習をしなかったのです。4重系も、2、3週間ぶりにいろいろ跳びました。
前のSOOTSに挑戦しているとき、TSの段階で手が止まっていることに気づきました。手を動かさないと、縄だって回りません。そうか、2重とびでもこうやって教えれば――。そう思い、あの子の姿が、ぼんやり浮かびました。
でも、すぐに気づきました。僕はもう、その言葉を伝えられる場所にいません。
399 なわとびに身をすくめる人たち で、縄の音や勢い自体を恐れて回せないのかもしれないと書いたときも、ちらっと意識していたのは、あの子の姿です。技術を教えるよりも、もっと救ってあげられる言葉があったのかもしれません。
跳ばせてあげたかった。
それでも、なぜかイメージの中のあの子は、縄を持って小さく微笑んでいます。いつか跳んでみせるから、待っててね、と言うように。
でも、またあうときは、二重とびができるようにします。