今回は「ブログのこと」。
発言をチェックする人はいなかったのか?
すこし前、ある企業でシステムトラブルが起こったときに、会見をした社長が事故の問題をわかっていない発言をして、さらにトラブルになりました。
「社長が話すことを確認する体制はなかったのだろうか?」のように書かれた記事を読んで、自分のブログにも「検証者」がいたらなあ……と思いました。
本当に検証者がほしいわけじゃなくて、反応がないことの不安から来る話です。
書いて発信しているだけでは、自分の書いていることが正しいのかわかりません。
技術系の話を中心に書くようになってからは、ずっと、自分の考えたことはどう受け取られているんだろう、と思ってました。
最近はなわとび関係のサイトをほとんど見なくなってしまったので、反応を求めること自体、矛盾してるような気もしますが、やっぱり、書いているだけでは「ひとりの限界」みたいな部分があるのです。
いろんな人の目を通して評価されることで、自分が書いた話の価値が、ようやく形を成してくるものだと思います。
単縄の世界は、そこまで広い業界ではありませんし、ブログをやってる人もそんなにいなかったので、ブログを書いていれば、ネット上で意見交換もできるのかなと最初は期待していたのですが――。
なかなか、それだけでは難しいですね。
技術を語り合える機会というのは、人と一緒に跳んだときが一番で、ネット上で都合よく意見がかわされることは、あまりありませんでした。
機会がほしいなら、自分から踏み出さないと得られないのが現実でしょう。
ツイッターとかインスタなら、ネット交流は盛んな気もしますが、それくらいのSNSでさえ、アカウントを作って輪に入っていくのには抵抗がありました。これはもう、性格としか言えません。
結局、ブログだけで、何か反応がないかな、と都合よく求め続けていただけだったように思えます。せめてブログ上で「だれかご意見ください!」と前向きな姿勢でも見せていれば違ったのかもしれませんが、そういう言葉を出すことすら抵抗があったから、今があります。
とてもせまい範囲の人に向ける言葉ですが、何か反応を得ようと思うなら、自分が「踏み出せる人」なのか考えてみることです。
ただ、ブログに書いて言葉にすることは、自分にとっての検証でした。
実際に跳ぶと実現できなくて、ブログに書いた理想と追いつかない技術という現実の差がいつものしかかりますが、書かなければまとまらなかった考えもたくさんありました。言葉にできて初めて、理解して、感覚=技術が追いつく、ということもあるのです。
ここだけは、ブログを続ける理由として、ずっと変わっていません。
前回のAS、CLの話なんかも、もうすこし自分で検証できました。
・苦しいけど、ひじが入るくらい形をとれば多回旋の成功率が上がる。
・縄の先、グリップの開きを意識すれば、手首中心で回せなくもない。
・手首中心で回せれば、思いきり抱えこまなくても跳べる。
・でも、足を抱えこまないぶん、腕と足の接触からのミスが起こりやすい。
結論は? と言いたいところですが、そこにはまだ行きつきません。あくまで検証です。