とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

457 必要と最小限

今回は「ミニマリストのこと」。

「必要最小限となんでも捨てるは違う」

すこし前、日本と世界のミニマリストはここが違う、のような話を読んでいたら、コメントでこんなことが書かれていました。必要最小限にしつつデザイン的なセンスは残す海外と、捨てることが目的化した頭の固い日本人、という雰囲気で……。

実際そうなのかわかりませんし、求める必要最小限は人それぞれなんでしょうけど、ミニマリストは聞いたことがある程度の自分にとっては、わかりやすいコメントでした。


これ、なわとびに置き換えても、わかりやすい一言です。

小さな動きで、きれいに速く回す上手な人。
それをマネして、小さな動きでさばききれない人。

その人の実力に合っているかどうかが、浮き彫りになるようです。

これはまさに、「必要最小限」を実践できているかどうかを表していると思えませんか? 冒頭のコメントを借りるなら、必要最小限の動きで回すことと、とにかく動きを小さくしてみることは違う、のです。

縄を回すことに慣れて初めて見えてくる、削れる動きがあって、最初は肩から腕全体で回していたのが、だんだんとひじから先、最後は手首中心になっていくのが一般的なイメージだと思います。

ここで言う手首中心の動きが「必要最小限」に当たるとすれば、そこにたどりつくまでのステップ・途中段階をすっとばして手首で回すのは早まりすぎ、という話になります。プロのかたがたもSNSなどで言われていたこと(今も?)ですね。


今回のタイトルは、必要と最小限で分けました。

必要なところを押さえつつ、最小限に。こういうふうに分けてみると、まず大切なのは、「どこが必要なのか」になります。

手首の話だと、普通に回すのはラクになりますし、2重とび、3重とびになれば、やっぱりムダな動きが少なくて疲れません。ただ、これはあくまで結果の話で、必要なのは、縄がゆがまないことでしょう。(※個人の考えです)

小さな動きで縄をコントロールできない(ゆがんでしまう)なら、まだ、縄をコントロールできるだけの大きな動きが必要な段階です。

縄のコントロール(=必要)ができてから、動きを小さくすること(=最小限)に手をつけられる。それがなわとびで回すときの「必要最小限」かなと思いました。


単縄だと、EBやASのように、動きに制限が生じる技で同じことを感じます。

特に多回旋で、すこしでも動きを小さくして速く回したい …… と思っても、手を背中側や足の下に入れるという「必要」なフォームが半端だと、縄が小さくなって引っかかりやすくなりがち。「最小限」に向かう前に、自分で壁を作っているのです。

僕の場合、SOASとか後ろSASOでここにハマってます。腰を痛める不安や、体が固くてムリをしづらいこともまた、必要なフォームにたどりつけず、最小限にも遠くなってしまう原因になりそうですね。

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最小限をめざすことは間違いではありませんが、その前の「必要」がどこにあるのか。

ミニマリストの話から広げてみた、なわとびの話でした。