とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

465 なわとび探偵

今回は「ブログのこと」。

技術系の話が続いたので、ちょっと別の話で……。

ブログを更新したときに管理者画面でアクセス状況を見ています。全体のアクセス数や、よく読まれているページが表示されます。

アクセス数は、普段が20~30、なわとびシーズンだと50~100くらいです。過去に数字を出した覚えがありますが、不思議なことに、この数年ほぼ同じ数字が出ています。

こういうのが固定化というんでしょうか。たしかにこの数年、書き方も5日ごとの更新もほぼ変わっていません。そこに付き合って読んでくださっているかたには感謝です。いくら好きで書いているといっても、誰も読んでなければやめてますから……。

ただ、書く側が変わらなくても、読む側の中にはあきてくる人だっていると思います。そのへんは、読まなくなっていく人と、新しく読むようになる人がうまくプラスマイナスで釣り合って、数字が落ち着いているのかもしれません。


僕の書いていることって、解説よりも「解明」なんだと思うようになりました。

最初は、なわとびがうまくなって、人に教えられること(=解説)を書きたいと思ってました。でも、思った以上に身につかなくて、ブログの技術話も、教えるどころかどうやったらできるのかと考えたこと、つまり「解明」になっていったんだな …… と。

解明というと研究者的に聞こえますが、どちらかというと探偵的な気がします。

たまに引用で出すように、推理小説はよく読みます。それも名探偵系のもの。推測や裏付け(とちょっと驚きのひらめき)を積み重ねて、最後に真相を解き明かすようなタイプですね。そういう最後の鮮やかさがあるかどうかはともかく、じわじわと結論に迫る書き方だけは似ています。

ただ、解明といっても、その先にあったものが、読んだ人の役に立ったかはよくわかりません。

あくまで基準は自分で、実際のポイントなんて人それぞれです。よほどピンポイントでうまくいった人がいないかぎり、「そういう考え方もあるよね」で読み終える人が大半ではないでしょうか……。


長い、という感想はあるかもしれません。

なんとなくですが、要点をまとめた文章のほうが好まれていると思います。たまに調べものをすると、ポイントと簡潔な説明でまとめたサイトが多いからです。それを見ると、探偵の推理シーンみたいにじわじわ書いていくパターンは、それだけで読まれないこともあるのでしょう。余計な「演出」とも言えます。

迷いながら書いていると、どうにも結論がでないことが多いです。こう書けば伝わるだろうな、という確信がなくて、言葉を接(つ)いでしまう。

この長さ、書き方が合わない人は、他を探したほうがいいんでしょうけど、それはそれであまり見当たらないんですよね……。なわとびの技術を「読みたい」けど見当たらなくて、仕方なくここを読んでいる、なんて人もいるんでしょうか。

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アクセス数の話に戻すと、他にないからここ、という形で固定層ができあがっている可能性もあるわけですね。単縄が広がれば、「なわとびを書く」人も増えて、もう自分が書かなくてもいい時期が来るかと思ってましたが、そんなことはないのでしょうか……。


同じような内容でも、書く人は多いほうがいいと思います。

いろんな人が同じことを書いていれば、読んだだれかはその言葉を信用しやすくなります。ミステリで探偵はたいてい1人で真相を語りますが、別に2人、3人で語ってもいいじゃありませんか。