とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

491 黄金色のカーテン

今回は「喪失感のこと」。

誰かと練習しなくなったのは、2年前のゴールデンウィークからでした。

きっかけは、その年初めての曲練習。思った以上にうまく跳べて、いったんベンチで休憩しはじめたときは、かなり満足していました。でも、あることに気づいた瞬間、ぼう然としてしまいました。

跳べてしまった。

ゆうに5ミスはしたと思います。それでも、初めて曲に合わせたのに、思いどおりにいったシーンが多くて、初めてにしては上出来な演技でした。改めてそれを思った瞬間、自分の「自由に跳んでみたい」という夢を、今、果たしたんじゃないかと気づいてしまったのです。

ノーミスはまだ先にある話で、曲練習を始めた時期からいい状態でスタートできたことはわかっていました。それでも、達成感よりも、喪失感のほうが大きかったのは、この曲でできるところまでがんばろうとしていたイメージに、練習1回目でかなり行き着いて、長いはずだった道のりが吹き飛んでしまったからだと思います。


そこから、練習のお誘いに気持ちが乗らなくなりました。

実のところ、当時はそこまで自分の状態を理解できていたわけではありません。とにかく気が抜けてしまい、乗り気になれずに遠慮しました。イベントから遠ざかったころと似ています。ただ、あのときは、自分の実力に自信がなくて、ギブアップに近かったと思います。それとはまた違う感覚でした。

今なら、自分が気持ちのうえでゴールしてしまったからだとわかります。

ミスの多い少ないではなく、思うとおりに跳べた満足感。自分が単縄に求めていたものを思わぬタイミングでつかんだことに気づいて、いったん、自分のなわとびが終わりを迎えた気持ちでした。

ここまでできれば、もう単縄に交流を求めなくても十分かもしれない……。

恥ずかしい話ですが、自己満足からの自己完結です。それまでいっしょに練習してくれた人たちからすれば、何があったのかという状況だったでしょう。でも、自分のペースで十分、と気持ちが落ち着いたとき、誰かと練習することは、荷が重くなっていました。

ちょうどそのころ、大型連休だったこともあり、単縄の世界でも有名な人たちがこの地方に来るので、ご一緒しませんかというお誘いもありました。足は向きませんでしたが、そういう機会に恵まれただけで幸せでした。やっぱり、気持ちはゴールしていたのだと思います。


こんなことを書いたのは、最近、それに近い心境だからです。

今のきっかけは4重とびです。あれが跳べたことが、思った以上に壁を乗り越えた感があったみたいで、腰がすとんと落ちたような、そんな脱力感が続いています。

単縄を続けていたくせに全然跳べなかった4重とび。動画で、単縄の人でなくてもいろんな人が跳んでいるのを見ました。運動経験や年齢の差こそあったにしても、自分の中で、実は大きなコンプレックスになっていたのかもしれません。見えていないゴールだったとも言えます。

2年前の1回の演技練習も、4重とびの成功も、達成感のあとに、思った以上に喪失感がありました。裏を返せば、「うまくいったあとを想像できていなかった」ということです。だから、壁を乗り越えたら、まっさらな場所しか待っていない。

今でも、公園のベンチで達成感が喪失感に切り替わった瞬間を覚えています。行き先を失ったような気持ちは、練習に向かわなくなる未来もどこかで気づいていたのかもしれません。


2年前も今も、単縄自体は続けています。

運動として楽しむこと、ブログを通じて考えること……。ほぼ自分のためですが、続ける理由はつきません。ただ、いっしょに練習していた人たちには、結局失礼なままでした。ここまで書いたような話こそ、当時、話しておくべきだったのかもしれません。

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