■ 子どもはその教えかたに何を見ている?
今回は「かえしとびのこと」。
教えるなら、ちゃんと夢を見せなきゃ。
今年も学校のクラブや休み時間に子どもにかえしとびを教えて、ようやく言葉にして思ったことです。
いろんな子にかえしとびを教えてきて、ずっと感じてきたもどかしさがあります。
それは、「ゆっくり解説」と、実際の動きのあいだにあるギャップ。
ゆっくり解説とは、かえしとびを教えるとき、どういう動きになるか、コマ送りのように順番に動きを説明することだと思ってください。教え方の解説はそのパターンが多くて、僕も、クラブで解説プリントを作ったときは、その方式でイラストにしました。
ところが、教えきっても反応が悪いことが何度もありました。
今教えてもらったの、かえしとびとなんか違う……。
そんな反応があるのは、おそらく、縄を体の反対側に回すときの動きのギャップのせいです。ゆっくり解説だと、片方の手を背中に回したあと、もう一方の手を頭の後ろを回しながら縄を移動させるのですが、できる人は、ここで頭の上でひゅんと縄を振って反対側へ回しているんですよね。
ここ、これまでに一緒にかえしとびを教えた先生たちに高確率で、「上手に回せるかどうかでイメージがまるで違いますよね」みたいなことを言われました。
ゆっくり解説の動きを覚えた子どもが、できたようで違う(=できていない?)気持ちになるのは、まさにそこだと思います。
ゆっくり解説は間違っていません。
順番として、最初のステップを進める解説。ひゅんと回して縄を移動させるのは、次のステップなのです。つまり、できるようになる途中。
それを予告もフォローもしないと、できる子はきれいにひゅんと回しているのに、自分はなぜかゆっくりとした動きしか教えてもらえなくて、「なんか違う」状態になってしまうのでしょう。教える側として、僕は長いあいだ、この点を押さえられていませんでした。
このブログでは、だいぶ前のかえしとびの話へのアクセス率が高く出ています。今回書いた、動きのイメージの違いについては、当時も気にして書き残していました。でも、それを子どもへのフォローにいかせていたかというと……。
「なんか違う」どころか、手かげんして教えられたような、もはや「うそ」に近いものを感じた子も、いたかもしれません。
かえしとびは、単縄用語だと「フェイクEB」とも呼ばれます。
前後交差を跳ぶEBを、跳ばずに縄を逃がす技だからフェイク ―― つまり「うそ」。本当は、野球の牽制(けんせい)球とか、サッカーやボクシングのフェイントみたいに、見せかけながら意味のある動きというニュアンスでしょう。
なので、うそと訳すのは問題かもしれません。それでも、跳ばない技というだけで、「そんなのずるい」と言いだす子もいます。
これも「なんか違う」から生まれるネガティブな気持ちだとすれば、やっぱり、「うそ」を「魅力」に切り替えられる言葉を、教える側としてかけないと、と思います。
かえしとびで「なんか違う」と思った子に、ここからできるようになると夢を見せてあげられるような……。