とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

568 空気を読めない「なわとびの人」

今回は「印象のこと」。

施設から追われたなわとび好きの行く先は――。

前回、ひさしぶりに施設の話を書いて、屋内で跳べない人のことが思い浮かびました。家の中に跳べるスペースがある人ならともかく、たいていは庭とか、道路とか、公園とかに「跳び場所」を求めるんだろうな …… と考えると、ついて回るのが人目です

今回も必ずしもいいイメージとは言えない話ですので、それを承知のうえで続きをどうぞ。


この暑いのに外でなわとび?

梅雨明けあたりから、なんとなく感じる視線。今年もそんな季節です。ずっと公園の広場でなわとびしてると、いろんな人に跳んでる姿を見られます。夕方の日陰とはいえ、太陽照りつける日中に地面や建物がためこんだ熱を残してまだ暑い中、汗を流しながら跳ぶなわとびの人。

この人、なんで跳んでるんだろう? ―― そう思われてるように感じるのは、どこかに「場違い」な印象があるからだと思っています。

変わった技を繰り返していたり、引っかかっては再挑戦したりする姿を見れば、好きで跳んでいるのは当然わかるでしょう。でも、「なんのために?」「なんで公園で?」みたいな疑問が生まれる人には、不自然の種が植えつけられます。なぜなら、目立っている印象のほうが大きすぎるから

なわとび(特に単縄)は見た目も音もハデなことが多くて、目につきやすいものです。ぱっと見、珍しいしすごい印象はあるでしょうけど、公園で、ひとりで、目立ってまでなわとびする理由は? 別の場所じゃいけないの?


目立つことで感じる圧力。

なわとび人口を見えない形で削り落としているのは、そういった視線を「想像」してしまう状況なのだと思います。実力のある人でも、人目に強いとは限りません。そういう人の受け皿になるのが個人利用できる施設なんですが、いろいろと壁があるのは何度か書いたとおり……。

人目につきそうな屋外で跳んでる動画を公開している人は何人もいます。それくらい、なわとびに自信を持って向き合えている人には、屋外も立派な跳び場所なのでしょう。施設を借りづらいからやむをえず、という人でも、気持ちがあるからこその跳び場所です。

外で跳んでいる人にはそれなりの理由があります。でも、そこまで想像されず、目立っている印象でレッテル貼りされやすいのが「屋外の壁」なのかなと思いました。


もし外でしか跳べない人がいたら、自信を持ってほしい。

そう思います。スタジオ貸し切りや、外でもせめてグループで跳べれば、他人の目が気になることなんて大幅に減るでしょう。人の意識はそうそう変えられません。なわとびをめぐる環境だってすぐには変わりません。変えられるのは、跳びたいという気持ちを持った自分です。

僕は公園で7年以上跳んでいて、いろんな目で見られてきました。正直言うと、そういう視線に自信を持って向き合えてはいません。でも、なわとびする姿をなるべく受け入れてほしいと思いながら跳んでいます。

f:id:tobimaru-jdr:20210725221335j:plain

ときどき、お散歩中のかたに声をかけていただきながら、今も公園で跳んでます。