今回は「ロスのこと」。
3年前までいた小学校で、お孫さんといっしょに『プリキュア』を見てる先生がいました。
職員室の席が隣で、「孫話」にはよく当時のシリーズ、『HUGっと!プリキュア』が登場しました。「大人が見てもおもしろいよ」とおすすめされること何度か。
当時ふと、最終回になったらお孫さん大丈夫かな、なんて考えてました。
いわゆる「ロス」です。楽しそうな孫話のすきまをつくようにそう思ったのは、1年できっちり終わってしまうシリーズだと知っていたからでしょう。一度その子に会ったとき、主人公のはなをマネして、前髪をばっさりカットした髪型だったお孫さん。いつか来る「お別れ」、そのときあの子は……。
こんなことを思いだしたのは、最近、『はぐプリ』のストーリーを読んでみたからです。
3年もたってから、とりあえずストーリーをと思っただけだったのが、Pixiv百科事典や感想サイト中心に、いつのまにか数時間かけて読んでました。最後まで読んで胸につまって、残った気持ち。1年見続けた子どもだったらどんなだったでしょう。
案外、次のプリキュアに気持ちが移っちゃうのかもしれませんが、そこで『はぐプリ』の時間が止まってしまったことを受け止めきれずに、うずくまってしまった子もいたのかもしれません。僕も、過去にいろんな作品でロスがありました。解決してくれたのは時間だけ。でも、そんなこと、小さな子どもにどう伝えてあげればいいのでしょう。
大人になってようやく気づいたのは、「登場人物に直接お礼が言いたかった」「せめて何か伝えたかった」ということです。大人になってそんな子どもみたいな、と思われるかもしれません。でも、僕の中では、たぶんそうでした。そして、それもまたかなわないことだから、ロスは苦しいんだろうと合わせて気づきました。今回もちょっと、そういう気持ちになりました。
すみませんが、やっとなわとびの話です。
8年近く続けてきて、なわとびでロスはあまりなかった気がします。後悔はあります。失敗した演技、尻切れとんぼにしてしまった交流。転勤でもういっしょに跳べなくなった子の姿はロスに近いですが、学校で働いている以上、どちらかといえば思い出です。
ロスがあるとしたら、すこしは上達したあとで、過去を振り返ったときです。
始めは、満足してだんだん目標が減っていくさびしさかと思いました。でも、もっと苦しいものが思い浮かびました。跳べずに苦しんでいる自分です。上達して1つ壁を乗りこえたとき、よし! とグリップを握りしめた後ろ側で、僕はできない自分を置き去りにしていました。僕にとっては、そのイメージがロスに近い苦しさです。
過去の自分になんて声はかけられない。まだドラえもんが現れる時代ではありません。それは、いろんな作品で登場人物に気持ちを伝えられないのと同じです。
できないだれかにヒントでいいから届けたいとブログで何度も書きました。それはきっと、過去の自分に届けられない言葉を、別の形でなんとかしようと踏みだした姿なのかもしれないな、と初めて思いました。
今回の話は、このせりふを聞いて書きはじめました。
「フレフレ、みんな! 未来は輝いてるよ! またね!」
主人公・はなが、最後にテレビの向こうのみんなに言った言葉。子ども向けだからこそできる演出。重要なキーワードでもあった「またね」ですが、ロスを感じたかもしれない子どもに、こう言っていたのかもしれません。
例のお孫さんですが、『はぐプリ』エンディングのダンスがきっかけだったのか、今はダンスに夢中だそうです。
実は、今の小学校にその子がいます。3年前の転勤先は偶然ここだったという……。先生には「孫をよろしくお願いします」と言われたし、学校では「職員室のとびまるさんはおじいちゃんの『友だち』!」と言われました。未来は何があるかわかりません。