とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

574 魔法つかいのいた場所

今回は「夢のこと」。

もう1つ、プリキュアからなわとびのお話を。

「子どものころなりたかった私に、私はなれたのかな?」

    ―― 『HUGっと!プリキュア』第49話「輝く未来を抱きしめて」

感想サイトを見ていると、主人公のはなのこのせりふが刺さったと書いている人が何人もいました。たぶん、ほとんどは大人になった人。そして、多くの人が、今の自分は昔自分が見ていた夢とは違う場所にいる …… と縮こまるような口調になっていました。はなの言葉に、自分を投影していたのです。


僕は、最初は違う感覚でした。

あのシーン、親友の2人が出会ったときの中学生時代の姿で映るのがぐっとくるんですよね。何も持ってないと思っていたはなにとって、あこがれでもあったさあやとほまれが、過去から見つめてくる姿。

でも、今のはなは落ちこんでいたあのころとは違う。そう思ったとき、テレビの前の子どもも含めてずっとみんなを応援してきたはなを、今度はこちらが応援するシーンなのか、と思いました。

改めて感想サイトを見ると、たしかに「自分は……」とも感じます。

ただ、僕には、「子どものころなりたかった私」があまりいませんでした。漫画家や作家にあこがれてはいましたが、本気でそこをめざす自分のイメージが薄くて、気まぐれで書いてみるくらいだったのを覚えています。

それを思えば、運動なんてほとんどしなかった自分が、まさか40歳を超えてもなわとびを楽しんでいて、さらにはネットが発達して、書きたいこと、描きたい絵を自分のペースで公開できるとか……。夢は小さくかなったのかもしれません。


自分の夢を置き去りにしたと、自分を苦しめないでほしい。

上の感想を見ながら、そんな気持ちがわきあがったころ、シリーズでもう1作、『魔法つかいプリキュア!』のストーリーも読みました。感想で何度か名前を見て、例によって Pixiv百科事典その他読んだんですが、主人公の項目で、ストーリー終盤のこの一文が胸に刺さりました。

昔、自分は魔法つかいと友達だった。大人になったらそれをなかったことにできるのか?

    ―― 朝日奈みらい (あさひなみらい)とは【ピクシブ百科事典】

ここを編集したかたは、みらいの気持ちだけでこれを書いたのでしょうか――。

たしかに、大人になったら失われるもの、置き去りにしたものはあるのかもしれません。でも、なくす前に、それを持っていたのは事実です。夢とは違う場所に来てしまっても、涙をのんで自分で決めた選択だったのも事実です。過去を夢見るくらい、いいじゃありませんか。


なわとびを始めたとき、僕は30代も半ばでした。

自分の中にはもう、魔法つかいなんていなかった。上手な人と知り合いになれても、うまくなるには自分の実力と気持ちに向き合うしかありませんでした。演技で失敗を続けて、夏祭りで跳ぶことに吐きそうになったときもあります。ただ、

―― マジシャンみたい!

子どもにリリースを見せたときに、こう言われたことがあります。思いだして初めて、単縄は子どもにとって「魔法」だったのかもしれないと気づきました。本当は、練習すればあなたにもできる現実のこと。見せかけの魔法です。それでも、いっしょに跳ぶのを楽しみにしてくれた子、何の迷いもなくクラブに入ってくれた子、そういう子たちにとって、いなくなったはずの魔法つかいは、自分が演じる番になっていたのだと思いました。


今回のタイトルは、10年以上前にいた小学校の図書室で借りた本の名前です。

あのころ、ある先生のなわとびを見たのが、単縄を始めるきっかけでした。今の学校へいっしょに転勤して再会した、大人になってからの恩師。僕はあのころ、先生に魔法をかけられたのかもしれません。

みんなが魔法つかいになる必要なんてありません。でも、夢や魔法をだれかに伝えることはできると思います。

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