とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

577 心のリリース(1)

今回は「解放感のこと」。

 ―― なんてうれしそうに変身するんだろう。

Youtube で期間限定で配信していた『ハートキャッチプリキュア!』を途中から見てました。ちょうど今日までですね。最後まで見て、一番印象的だったのが「3人目」の子が初めてプリキュアに変身したときの、笑顔でした。

……プリキュアブログみたいに始まってますが、今回も、この前書いた2回と同じく最後はなわとびにつながります。


いい話はいっぱいあったんですが、あの笑顔の「解放感」が驚きでした……。

かわいい自分になりたい気持ちを自分の中に押しこめていた子が、思いきり気持ちを解き放った姿。変身するのは戦うためだけじゃなくて、これもまた「変身」なんだなあ、と。

やっぱり最初はストーリーの中のワンシーンとして、その子に「よかったね」的な気持ちが浮かぶんですが、上の2つの話と同じで、そのうち気づくんですよね。それが、大人になった自分から生まれた感想だということに。

 ―― あんなふうに、とびきりの笑顔で気持ちを解き放ったことが最近あったか?

なかなかありません。でも、大人のエレジー(悲歌)をつぶやきたいのではなく、小さな解放感はけっこう感じています。女の子向けのアニメを見ている自分もその1つで、そういえば、子どものころ、ちょっと願っていてかなわなかった話だったのを思いだしました。

子どものころ、同じロボットでも『ガンダム』じゃなくて『ドラえもん』が好きで、藤子不二雄作品だと、女の子主人公の『エスパー魔美』も『チンプイ』も『ポコニャン』も見てました。女の子向けというより、子ども向けですけど……。自分の中ではプリキュアも同じ感覚で、見るのに抵抗がないんですが、昔だと、そんなこと理解されませんでした。

「らしさ」の神話は、今も残っているほど当時から続いてきたものです。子どものころ、そんな自分はおかしいのかなと、家族が何も言わないようなものしか見ない方向に、自分で自分をあきらめた記憶があります。それを思うと ―― なんて解放感を、3人目の子の笑顔から感じたのでした。


ここでなわとびです。

プリキュアに限らず、変身って、戦う準備です。超サイヤ人も○○戦隊も、ロボットに乗りこむのも、ステージのための衣装だってそう。決めポーズに合わせた笑顔の意味合いが強いのかもしれませんが、同じ場面で、自分は笑顔になれたことがあったでしょうか?

僕にとっての「変身」は、人前のなわとびパフォーマンスでした。演技で人前に立ったのは20回もないくらいですが、笑顔はともかく、気持ちを解放して跳べたことが、いったい何度あったのか? 初挑戦以降、緊張と技術不足でうまくいかず、イベントに誘ってもらえた機会も辞退するくらい、重荷であることのほうが圧倒的だったと思います。

最近は比較的マシですが、それでも、解放感のような余裕はすなわち油断に思えて、甘くかまえていられないのは変わりません。


それでも、その解放感にあこがれた瞬間はあったはずです。

おそらく、それはリリースという技が象徴しています。初めてこんな技もあるのかと動画で見たとき、その自由さ、自在さにあこがれました。普通なら持っているグリップを「離す」技だからリリースなんですが、この言葉には「解放」の意味もあります。技として離すだけでなく、気持ちを「解き放つ」あこがれが単縄の始まりにあったことを、忘れることはできません。

リリースの感覚をつかむまでに長い時間を使いました。今は、不安定でも左右リリースやジャンプリリースも楽しめます。いつも笑顔になれるほどではありません。でも、グリップを宙に舞わせているとき、ふと気づくのです。心のどこかが浮き立って跳びはねているような、そんな解放感が、思えばたしかにあることに。

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変身シーンの一部をモチーフに1枚。抱きしめて離さないのは、むしろ「リリース」の真逆に見えます。でも、これも心の解放ですよね。「解き放て、この縄」 ―― 忘れかけた気持ちを、ときには思いだして解き放てますように。