とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

578 心のリリース(2)

今回も「解放感のこと」。

プリキュアになって自分を解放した子の話から、リリースにつなげた前回。

あこがれとあきらめの中で、自分を解き放てるような瞬間がくればいいね、というような話でした。同じ『ハートキャッチプリキュア!』から、別の意味で「解放」を感じた話です。


解放があるなら、その前には束縛があります。

「笑顔が一番! …… 一番、なんだから……。
 ……でも、どうして笑顔が一番なんだっけ……?」

      ―― 『ハートキャッチプリキュア!』第14話「涙の母の日!家族の笑顔守ります!!」

過去に母親を亡くした同級生が主人公の回。「お母さんに会いたい」とぐずりつづける小さな妹をどうすることもできず、自分のほうが泣き崩れそうになったときの言葉です。涙をこらえようとする姿が胸に痛い ―― と思ったところに、笑顔の意味がその子からいなくなっていたのを知らされて、すっと影がおりてくる感覚。

このせりふが印象に残ったのは、笑顔の意味を忘れたその子の姿が、楽しさを見失ったときの自分の気持ちと重なったからです。なわとびなら、跳べなくて、意地になって、何度でも同じ技を練習しているときがすぐに思い浮かびました。


一言で言えば、「こだわりに縛られた自分」です。

跳びたいなら、技を追求するのは必須です。でも、意地になって繰り返すうちに、「跳びたい」という最初にあった気持ちは、いつしか「跳べない」にその姿を変えてしまう。考えても、力をこめても、縄は最後まで回ってくれない――。

技術を心の持ちようで語るのは難しいんですが、それでも、意地になる姿は「跳べない自分」を打開するためでしかありません。たとえ成功して「跳びたい自分」に追いつけたとしても、残した足跡は、何か息苦しい形をしています。

上の話の子は、笑顔を作ることに縛られて、なんのための笑顔だったかを忘れてしまっていました。本当は切実な理由があったのに、笑顔という手段が、笑顔でさえいれば …… という向き合いかたに縛ってしまった一面もあったんじゃないかと思えました。笑顔の裏で、ななみは、本人も気づかない形で泣いていたのかもしれません。

この子の境遇と重ねてしまうのは乱暴ですが、冒頭のせりふのシーンには、本来の気持ちを自分の中に押しこめて、忘れてしまうつらさを呼び起こされました……。


前回書いた「解放」は、あきらめを振り切ってあこがれに向かう姿でした。

なら、今回振り切るのはこだわりです。そして、向かう先には、やっぱりあこがれが広がっていてほしい。「跳べない」に気持ちが枯れかけてしまう前に、「跳びたい」気持ちを思いだして、そのための練習・挑戦なんだと気持ちを向けることが、自分への思いやりだし、ひそかな解放なのだと思います。

ハートキャッチプリキュア!』の最終決戦で、敵の幹部と一騎打ちするシーンがあります。強さだけを、美しさだけを求めた、ストーリーを通した敵の2人。この2人が、初めて主人公側の言葉を認めて、でも、「俺はそれを分かるわけにはいかんぜよ!」「もう今さら、後戻りはできない!」と言いきる姿が悲しかった。こだわりはあるけれど、あこがれはどこにあるのだろうという苦しさを、全力で背負っているようなその姿に涙が出たのは、自分にも意地になって失った時間があったからでしょう。


最後に、母の日の話に戻って――。

終盤で、ななみは笑顔にすがりついていた理由を思いだします。

その場を切り抜けるための笑顔ではなく、なんのための笑顔だったのか ―― その思い出を取り戻したあとの笑顔が、前回に続いてもう1つ感じた「解放」でした。妹から贈り物をもらって笑顔を見せるななみの姿は、幸せを願いたくなるラストシーンでした。

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みんなでリリース。忘れかけた気持ちを、ときには思いだして解き放てますように。