とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

588 つばめのうた

■ 何かを続けたい人に寄りそって

今回は「中学生のこと」。

 ―― 中学校に行っても、なわとびを続けていられるのかな?

だれに言うでもなく、そう思うときがあります。

毎年、冬の休み時間にはいつもいっしょに跳んでいる子がいます。前の学校でも、今の学校でもそうです。身近にはいませんが、単縄レベルまでのめりこんでる子も、今はたくさんいることでしょう。

そのまま、中学校でも続けていける子はどれくらいいるのでしょう。最近足をケガして、今までのように跳べるのか不安な中で思いだした話です。


すこし前に、『ハートキャッチプリキュア!』のワンシーンでも思いました。

夏の限定配信を機に見返した序盤の、主人公のつぼみの過去話でした。小さなころから花や植物のお仕事で海外を飛び回っていた両親をいつも見送っていたつぼみが、大きくなっていくカットと、その最後。ある日、両親を見送ったあと、縁側でつばめの親子を目にして、ずっとこらえていたさびしさの糸が切れた瞬間。

がまんしつづけたつぼみの優しさと、やっと気持ちを伝えられた悲しさが胸を打つシーンでした。

その長い時間を思ったとき、いつごろの話だったのだろうと思いました。物語の始まりは転校した中学2年生の春。両親がつぼみのために仕事を辞めて引っ越したとき、違う中学校に通っていた話もあったので、中学1年生の春先くらい……。


中学生。

小さな女の子が見る番組で、心が揺れ動く時期なのをわざわざアピールしたわけではないと思いますが、それでも、そんな年ごろの子だからこそ、揺れ動いて、そして家族が「変わった」のだと思います。

そんな、ふれればまだ形を保てないようなイメージに、なわとびを重ねたとき、中学校では …… と連想がつながりました。いろんな子がだんだん跳ぶのをやめていって、残された子がなわとびを続けることに不安を覚えるようなイメージ。

中学校でなわとびを追いやるのは、部活動でしょうか。生活の中で占める時間が増えて、そのぶん、なわとびまで時間が届かない。続ける子は続けていると思うのです。大会その他、目標がある子ほど、強いでしょう。部活もなわとびもできるなら立派なものです。


でも、そうでない子は?

僕はよく、想像まじりにそういう視点になることがあります。部活動が縮小化しつつある中でも、まだ多くの子は部活動で新しい道を進みはじめる。その中で、うまく両立はできなくて、でも、なわとびに「残って」いたい子は――。

2つ引用します。

「…… なんで……
 なんでみんな変わってしまうんやろ…
 なんでずっと一緒にいられへんのやろ…
 みんな… どこへ行ってしまうんやろ…」

  ―― 尾崎かおり『金のひつじ』 最終話「時が来た!」(講談社


小さな町で、ずっと続くと思っていた友情がすれ違って、きしみあって、それでも自分を貫いた主人公が、最終話でこぼした弱音。そして、もし、その苦しみを抑えられなくなったときには。

「結局そうやって、みんな勝手に大人になって、エルダのこと置いてっちゃうんだ!」

  ―― 『トロピカル~ジュ!プリキュア』 第34話「夢は無限大! 大人になったら何になる?」


先週放映された、家出した敵側の子どもの言葉。何か過去があるのかな……。それでも、今のままでいたい気持ちを揺さぶられた必死な言葉が、なわとびを続けられるかどうかで苦しむ子のイメージにも重なりました。


どうにかできるだけのアイデアは、つかみきれません。

ただ、上の『ハトプリ』第9話の戦闘パートで、父の教え子の悩む姿を臆病者とあざ笑う敵に対してつぼみが言った、「いい加減な気持ちじゃないから、怖くなるんです!」に一部は凝縮されていると思います。

なわとびを軽視する人がいるとしたら、「好き」を見せつけられて、動揺して敵に回るのか……。やりかたは悪手です。ただ、自分を守るために必死で、苦しんでいる姿は同じと言えるのかもしれません。

変われること、変われないこと。
変われたこと、変われなかったこと。

一生懸命な苦しみを受け止めてあげることだけでも …… と思います。

イラスト:『ハトプリ』上記話のカットからアレンジ。縁側を室内から見た構図。つぼみが庭で、背中を向けて跳んでいる。塀の向こうには空。そして、つぼみの後ろをつばめの親子が通りすぎていく。

変われること、変われないこと。