とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

589 パーのルール

今回は「パーとびのこと」。

ようやく休みになわとびできる状態になりました。

軽い筋トレやストレッチは続けていたものの、やっぱり体が恐る恐る跳んでる感じで、特にタイミングの合わせかたが1か月前に比べてすぐには伝わらない感じ。そんな「タイミング」関係で、縄休み中に気づいた動きがあります。

わりとシンプルな技や動き(でもなめらか)で構成された演技。 0:33 あたりで足を開いたり閉じたりして、なわとびにおける「グー」や「パー」で跳んでいるのですが、足を開くのってこのタイミングなの? と思ったのです。


疑問に思った以上、違う答えが自分の中にあるわけで――。

パーの状態で跳ぶのが「パーとび」なのでは?

動画だと、いわゆる縄が通る(=足の下を通過する)瞬間は足が閉じていて、着地で開いているのが、わりとわかりやすいです。たくさんの技を紹介している生山ヒジキさんやふっくんの動画でもこの技があって、

 

 こちらはもうすこしパー状態に近いように見えますが、それでもコマ送りで見ると、やっぱり縄が通るのは足を閉じているとき。そういうものか……。

なぜここにこだわっているかというと、たとえば学校で「なわとびじゃんけん」をすると、たいていの子は、パーで足を開いて縄を通すのです。じゃんけんの手(ここでは足ですが)の状態で跳ぶのがルールなのだと考えているからだと思います。

というか、そもそも最初に「お手本」を見せている僕がそういうふうに跳んでいるのでムリもない話。じゃんけんっぽく手(足)を出そうとすると、わざと足の形を作ってからグーチョキパー状態で縄を通したほうがそれっぽいのです。何より、同じ跳びかたで回数を追うことの多い学校のなわとびだと、パーとびは続けて跳べば足が開いたままになります。(何が正解というより、文化の違いだと思います)


ルールと言えば、僕の場合、単縄ルールのイメージもありました。

「技とは、足の下を縄が通ったときのフォームで判断される」 ―― これが基本だと思っているのですが(違ってたらすみません)、これでいくと、パーとびは縄が通るときにちゃんと足が開いていないと、あくまで「普通の前とび」であって、「着地がパー」なだけみたいなジャッジを受けることになるのでは……。それっぽく言うと、「O ランディング フットオープン」でしょうか。

こういう理解が自分の中にあるので、足が開ききらないパーとびに違和感があるのでしょう。というか、これがほぼ答え。パーを侮(あなど)るなかれ。

……重く見えて明らかに軽いことを言いましたが、実際は、見ばえを考えるとそうでもないんですよね……。

足のパーは無防備ゆえに、どこかみっともなく見えるのも事実です。それよりは、縄の通りぎわにさっと足を開いて見せたほうが、スカーフを取り去ると花開くような、やわらかな鮮烈さがあると思います。難易度を追うより、演出に心を傾ける動きだからでしょう。

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