とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

614 玉石

今回は「基本のこと」。

きれいな跳びかたっていいな、と思うことがあります。

縄も体もゆがみがなくて、とても整ってます。お手本のようなブレのないフォームは、見ている側の視線もブレません。気持ちよく見ていられます。上半身やひざ下が右にゆがんでいる僕からしたら、うらやましいかぎり……。


そんなだからでしょうか。目にとまった一文があります。

久月の美しさは時間をかけて洗練されたものというよりは、もとから完全に美しかったものが汚されずに残されているといった感じだった。

  ―― 北山猛邦『アルファベット荘事件』(東京創元社


特別さを際立たたせる、ちょっといい言い回しでした。このミステリ、20年ぶりくらいに復刊した初期作品だそうで、発売した昨年の秋ごろに読みました。終盤のこの描写が、きれいに跳ぶ姿を思い起こさせたんですよね……。

とはいえ、始めからきれいな跳びかたができあがっていた人はそうそういないと思いますし、この流れで「天性」なんて言葉にくるんでしまうと、本人の築きあげたものがぼやけてしまいます。

ここで目を向ける先は、基礎基本だと思うのです。

上手な人は、軽く予備跳躍をしていても縄がきれい。極論、前とびの達人です。手の位置、縄のとらえかた、跳ぶタイミング、そして姿勢。どれをとっても落ち着いている。これが交差に始まり、EBにしてもCLにしても、特殊交差になってもブレないのは、前とびで作られた基本が各技でも生きているからでしょう。

天性とまでは言いづらいかもしれません。でも、「時間をかけて洗練された」基本は、「汚されずに残されて」すべての技につながる。こんな言葉に置きかえると、一瞬まぶしさに目を細めるような美しさが浮かぶようでした。


『アルファベット荘事件』は謎の人物ばかりです。

読んでいるうちに、ほとんどの人に違う顔が見えてきます。探偵役の「ディ」なんて本名不明。謎を解くために生きているから Detective(探偵)のDと呼ばれている。そんな人たちがアルファベットのオブジェが並ぶ雪の山荘を訪れ、謎の美術品から被害者が出現し …… 事件の演出のほうが主役だとは思うんですが、どういう人たちの集まりなのかと翻弄(ほんろう)される感覚がいいアクセントでした。

いわゆる本格ミステリって、リアリティ度外視な一面も多くて、それに合わせるように舞台設定が一風変わっていることも多いです。それでも、大もとは基本にあると思うのです。ミステリなら、不思議な謎が鮮やかに解明されるところ。そこから変わった設定や人物像が広がっているだけで、中央には謎と真相があるのです。

なわとびもそう。複雑なフォームの技も、元をたどれば基本の前とびから進化した、縄と体のコンビネーション。基本から追っていけばたどりつけるようにできています。

跳べない苦しみが生まれたとき、その技につながる基本に気づいていないだけなのか、それとも、基本そのものに足りないところがあるのか? ―― この視点を持てるかどうかは、かなり大きいと思いました。


この、基本と特別を行ったり来たりする感覚って、大切ですね。

アルファベットは文章の基本要素。なわとびも、イニシャル由来でASとかTJとかアルファベットの技が多いです。そして、基本の基本にあるのはオープン(前とび)のO。磨(みが)かれた石のような美しさを生みだせるといいですね。

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