とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

623 後ろ!

今回は「背面のこと」。

今の学校で、なわとびシーズンに一番口にしてる言葉かもしれません。

運動場がせまいので、休み時間のなわとびは、アスファルトの一部のスペースで跳ぶことになってます。冬場なんか、そこそこ密集するせいで、近くに人がいることに気づかずに跳びはじめることがしょっちゅうです。

特に後ろ側。縄を回したら当たる。だから、「後ろ!」なのです。

当たらないように離れて ―― と声かけするのですが、人間そう簡単に同じ場所で跳びつづけられるわけはなく、しかもアスファルトスペースは微妙に傾斜があるせいで、離れていたはずの子たちが冗談のように接近すること後を絶たず……。

こんな状況でいっしょに跳んでるせいか、研修に行った先生から聞いた話をたまに思いだします。


「後ろは見えないから、おれは悪くない」

スクールカウンセラーの先生が事例で出した話だったような。背中からぶつかって相手を転ばせてしまった子が、事情を聞いた先生にこう言ったのだそうです。この言葉、どう思われますか? と会場にいた先生たちは投げかけられたのだとか。

見えないという事実だけなら、たしかにそうなのです。ただ、結果として転んだ子がいるのに、そちらに気持ちが届いていない。教育相談に上がった子の一例ですが、学校に限らず、トラブルの発端にはこういう傾向が目立つ気がします。

罪悪感を隠す(=自分を守る)ために意地になっている場合が多いのでしょう。そういう特性がある人でも、大もとは自分本位に考えてしまうところにあるのだと思います。もし、相手のことを考えるように話を向けるなら、それはからまった縄のようなもので、いくつか順番はあるものの、ほどくのに手間がかかる対話になるのでしょうね。


なわとびにも、そういう一面があると思います。

見えないからあきらめる。「見えないから跳べなくて当然」というロジックに気づいて、とっさにそこにすがりつくのです。

まさに後ろ回しがいい例でしょう。どのタイミングで跳べばいいのかわからない。交差(あや)になると、手の動きが加わることに混乱して、また跳べなくなる。多くの人が子どものころになわとびを経験する中で、あきらめるきっかけがあるとすれば、そのうち1つはこういう場面だと思うのです。

子どもがなわとびから離れる理由は、2重とびとかはやぶさをガンガン跳べるようになれないとか、他のスポーツのほうが楽しいとか、さまざまでしょう。でも、「見えないから」は、ある意味正当性を持つような理由になりうるのです。

跳べる子でも、前回しばかりで後ろ回し系の技は全然跳ばない子をよく見ます。これも、見えないから挑戦しない的なものがありますね。


裏を返せば、後ろを覚えればなわとびは楽しいのです。

かえしとびも、先生からは背面の動きがネックだと聞きます。これができれば、技というより「できる動作」が増える。TSやASのような背面交差は、跳んでからフォームを作る特殊性に違う入り口がありますしね。

以前の競技ルールでは、後ろ回しの多回旋の連続でポイントがついたり、技自体のレベルが高かったりしました。技術力の歴史で、競技レベルだと後ろの優位性が消えていったものの、後ろの価値自体は今も必要なものでしょう。