とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

647 なわとびはミステリ

今回は「謎のこと」。

なわとびしてると発見が多い……。

前回、交差とびの前の前とびで手がずれていると、そのまま交差もずれやすい話を書いたんですが、また違うパターンに気づきました。と言っても、僕個人のクセによるもので、「交差の手はまっすぐでも、体がねじれると縄がそれる」状態。縄がそれるというより、体(脚)のほうが縄からそれている状況ですね。

クセとはいえ、こういうパターンもあるのか……。また1つ、謎が解けました。解決に見えつつ、実のところ悩ましい問題ですが。


なわとびサイトに求められていることってなんでしょう?

アクセスの詳細を見れば、やっぱり跳べるコツやヒントに集中しています。これを、タイトルのようにミステリとして見るなら、謎に対する答えが求められているわけです。

でも、僕はそうでもなかった気がします。

たしかにコツ的な文章があれば読みましたが、メインはいろんな技が繰り広げられる動画でした。それを見て、マネしては自分に足りない技術に思いをめぐらせ、探ることのほうが増えていきました。ブログはほとんどその記録で、クセや運動経験のなさをどう克服するか、その「できる」感覚を言葉にするのがもう1つのなわとびです。


ミステリというと、ここで書いた解明する楽しさもあるでしょうね。僕はどちらかというと探偵よりも、その他登場人物や読者として真相に驚きたい側なんですが、なわとびだと実際に動くのが自分なのでそうもいきません。できないのはなぜか? という謎に立ち向かう側になります。


このイメージ、実は読書中に連想しました。

「そういうことじゃないよね」
 そう言って私は立ち止まる。自分が止まらないと棚ちゃんは進み続けるだけだしこちらを振り返りもしない。

  ―― 舞城王太郎「トロフィーワイフ」(『されど私の可愛い檸檬』所収)(講談社


この短編小説、ミステリではありません。ただ、幸せって何? 誰が決めるの? といったテーマに振り回された人たちの一幕で、理想に忠実であろうとする姉に対して一線を超えるのを決意したこの場面で、何を描こうとしたのかがはっきり見えてくる。

このあたりに、どんな物語も主題をめぐって近づいていくさまが、ミステリのような構成なんだなと思ったのです。それは、自分にとっての「できる」感覚をめぐるなわとびでも言えることでした。


同じ短編集では、こんな話も書きました。テーマによって色合いは変わります。


ブログのアクセスなんかも意外とそうですね。

今回はそろそろ締めなのでアクセスネタは別の機会にしますが、おもしろいのはアクセスが集中する年末年始。冬休みでも、12月末より1月第1週のほうが明らかに多くなります。

学校開始に向けて、1月になってから腰をあげた雰囲気が見える感じです。年末のほうが忙しい事情もあるでしょうし、それで「謎はすべて解けた」にはなりませんけど……。

謎として残しながら向きあっているものが多いから、なわとびが続いているのかな、とも思います。

手前の女の子がのぞいているのはグリップ …… のつもりです。