とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

655 雪の向こうに

■ なわとびを失いたくない

今回は「記憶のこと」。

プリキュアの映画を見て思うところあったので、すこし。

新作公開に合わせて、昨年の映画が期間限定公開されていたので見ました。『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』、思っていたより、重くて切ない話でした。

テーマは「忘れない」なのかな。ブログで語る予定はなかったんですけど、いつもみたいに、なわとびでも同じテーマが見えたとき、書き残しておこうと思って筆をとりました。


途中から不安のよぎる映画でした。

序盤は本編どおりノリもよくて、かき氷のシロップを持って雪の中に突撃して毛布送りになるまなつとか、「寒いってわかるか?」とまじめにつっこむあすか先輩とか楽しい。でも、よく見ると招待されたお城にだれもいないし、国民すら姿がない。そのまま戴冠式(たいかんしき)が始まって ―― とワナかホラーかみたいな展開で物語の核心に進んでいくのです。

不安なのは、「このまま救いがあるんだろうか?」と思えたストーリーもそうでした。むしろ、そこは溶けない氷のように残って、ローラたちの出した答えが「忘れない」だった …… という流れが心に残る話でした。

本編でも同じテーマがあるんですよね。

人魚と人間は過去にも交流があったようなのに、なぜか忘れられている。関わった人たちの記憶はどこへ行ってしまったのか? ―― 映画が公開された秋ごろは、まだあいまいだったと思います。途中からでしたけど最終回まで見たから、後出しのように気づいた部分でした。

同じテーマに、今度は本編でローラとまなつたちが対面する終盤の記憶が強くて、映画を見ながら、最終回の海辺のシーンがフラッシュバックしてました。夏の明るさでは照らしきれないものに向きあう展開は、まるで本編の予告編にもなっていた気がします。


記憶と時間。

これがなわとびに結びついたのは、自分が年齢を重ねたからでしょう。不器用ですが経験を重ねて、すこしずつ、跳ぶ・回す・支えるのつながりがわかってきました。でも、さすがに体はもう若くない。「きしみをあげる」ってこういうことかと、動きが止まった直後に真顔になることが増えました。

できたことができなくなる。

思ったより腕や脚が動かない瞬間があります。交差なら、腕が浅いと輪が小さくなったり斜めになったりして、引っかかります。単縄では脚を上げたりかがんだりする技も多いので、そちらもきつさが出てくる。まるで、体が自分の動きを忘れていくかのよう。

「永遠なんてないわ」


シャロン王女の凍りついた心に、やっとみんなの気持ちが届きかけたシーンで、シャロンがこの言葉で流れを断ち切ったシーンを覚えています。シャロンの過去を思えば、たしかにそれは動かせない事実なのかもしれません。そしてそれは、だれにでも訪れることです。


だから、記憶だけでも忘れない。

なわとびなら、跳べたときの感覚を自分の中に残すこと。それは跳べなくなる覚悟でもあります。現実に再現できなくなっても、初めて跳べたときの喜び、すこしずつ慣れていった楽しさは消えない思い出です。指導者なら、伝えることで代えられるものもあるでしょう。

あの映画、限定公開期間に3回見ました。いずれ配信されるでしょうから、そこまで繰り返して見なくてもよかったはず。ただ、見ることで「忘れない」を示したい気持ちもあったのかもしれないな …… と思いました。

「会えなくなっても、ずっと覚えてるって、さびしいことなのかな?」
「さびしくない! 忘れてしまうほうがさびしい!」
「忘れちゃったら、さびしいこともわからないよ!」


本編46話のこのシーンを、今、自分の体に置きかえると、すこし涙が出ます。自分の中で、なわとびが失われていくのかもしれない。それでも、楽しかった記憶を忘れちゃいけない。その気持ちこそが、大切なものに向きあってきた自分の姿です。だからこそ、「記憶」になっていくなわとびの時間が、出会えてよかったものだと思えるのです。

ローラと、シャロンのように。

イラスト:ビーズロープを上に回す女の子2人。縄の輪の中には、それぞれ、ローラとシャロンが目を閉じて歌う姿。

忘れないよ

本編の公式配信が始まって、見ていなかった前半を見ています。置き去りにした過去を取り戻す始まりのように、1人ずつ変身していく序盤がまぶしい。きっと、彼女たちの中に、忘れずにいたものがあったからでしょう。